息子の学生生活を振り返って。
今日は午前中いっぱい近所のスタバで仕事。
午後はPCの整理をするつもりだったのに、案の定昔の写真に引き込まれてしまい、せっかくだから息子のことを記録してみようと思いました。
我が家では今年1月、一大行事かつ未知の世界だった「スヌン」が無事終了しました。
とはいえ私も夫も勉強熱心ではないので、割と子供たちの好きなようにさせてきました。塾も最小限しか行かせていません。でも心の中ではずっと恐れていました、スヌンを……。
息子が高校に入学してから少しずつ忍び寄ってきた「スヌン」の圧力。
スヌン(수능)とは「大学修学能力試験」の略語で、
日本でいえばセンター試験でしょうか。
ただ韓国では、推薦入試を受ける学生以外は皆、このスヌンを受けなければいけなくて、そこまで勉強に気合をいれてこなかった我が家ももれなくスヌン対策をしなければいけませんでした。
(推薦入試を受ける子でも、スヌンが終わってから合格発表がある場合は、もしも不合格だった時のためにスヌンを受けておくほうが安全)
夫のサッカー好きをそのまま引き継いだ息子。
たぶん、これがきっかけ。
義理家族で旅行に行った時、男たちで足球をしましたが、
この時息子が大はしゃぎしたのを今でもよく覚えています。
その後我が家には少しずつサッカー用品が増え……
FCソウルサッカークラブに入ったり
当時FCソウルに在籍していた高萩選手とインタビューする機会にも恵まれました。
その他さまざまなサッカークラブを転々とし、
中学1年、サッカー部寄宿舎生活スタート。
勉強とは程遠い学校生活を6か月ほど送ったころ、サッカー部員が足りなくなり、このまま在籍しても中学対抗のリーグに出れないとのこと。
だったら早く辞めて普通の学生に戻ったほうが良いのではないかということに。
このままサッカー部に在籍してもプロサッカー選手になれる保証なんて何もないので、ここですっぱりサッカーはあきらめようという決断を下しました。
この時思いました。
これも結局大人たちの事情だよなぁ…
息子だけが振り回されている気がして、本当にかわいそうなことをしました。
訳も分からず流れに任せて転校したのは9月末。
寄宿舎を片付け、学校にあいさつし、タクシーに乗り転校先の学校へ。
教務室で待たされている間、新しく配布された教科書を眺める息子。
まったく勉強しない環境から、突然超・超進学校に配属となってしまいました。(これもまたかわいそうだった)
転校したとたん勉強は難しくまったくついていけないと、夜大泣きすることもありました。
「勉強の仕方がわからない」
「なんで僕はこんなことになったんだろう……」
私も泣きました。
そんな感じで高校1年までは机に座ればゲームばかりしていましたが、
ある日突然「体育学科に行く」と言い出しました。
やりたいことが決まると急に別人のようになり、体育学科に合格するために必要な塾を選びはじめました。
高2までは国語、数学、英語の塾に通っていたけれど
高3になると自分の意志ですべて辞め、インターネット講義をスタディカフェで聴きながら勉強していました。
体育学科の大学受験は筆記試験以外に実技試験があるため、
高校2年の冬休みからは実技試験専用の塾に通い始めましたが、これがまた高くて(涙)
スヌンが終わるまでは一か月40万ウォン、
スヌン終了後、実技試験が終わるまでの期間(約2か月)で350万ウォンの一括払いでした……
スヌンまでの日々は夜遅くまで勉強がつらそうでしたが、
その後の実技塾は朝から晩まで精力的に通っていました。
やっぱり運動が好きだからでしょうね。
とにかくよく食べるので、私は毎日息子の帰る時間に合わせてメニューを考えるのがなかなか大変でした。
朝5時起きの時もあれば、夜0時近くまで帰ってこないこともある。
いつ帰るかわからない息子を待ちながらワインを飲むことしょっちゅうでした。
息子の前では不安になってはいけないので、近所のお寺にお参りに行くのが私の心のよりどころ、そして不安解消法でした。
お寺に行くと、いつもと同じように山があって、笑顔の石仏さまが待っている。
目の前に立って見ているだけでも気持ちが休まりました。
息子と友達たちと一緒にお参りにも行きました。
いつもふざけているのにここでは静かに真剣にお祈りしていました。
いろんなおかげで息子は実技試験で自己記録を更新し、第一志望に合格することができました。
3月から晴れて自分のやりたいことだけできる大学生活が始まりましたが、
来年はもう兵役なんて……。
そう思うと今年1年も息子の世話に明け暮れたい気持ちになります。
きっと人生で一番自由で輝いているだろう大学生活。
母の心配など気にせず、好きなように楽しんでほしいです。
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