ノベルガタリ 〜伊藤計劃『ハーモニー』〜
マツモトハジメです。
今回はノベルガタリということで、
僕はSFが大好きで、
その中から、お気に入りの亡き伊藤計劃さん(以下、敬称略)の作品、
『ハーモニー』について語ります。
※ネタバレが含まれますのでご注意ください!
伊藤計劃-Project Itoh-とは
伊藤計劃は2007年に『虐殺器官』でデビュー。同書は「ベストSF2007」「ゼロ年代SFベスト」第1位に輝きました。
ゲームデザイナー小島秀夫さんの熱狂的なファンであり、メタルギアソリッドの公式ノベライズ『メタルギアソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』を2008年に執筆しており、同じ2008年に2作目のオリジナル長編『ハーモニー』を刊行しますが、翌年惜しくも癌で亡くなられました。
遺作となった『ハーモニー』は第30回日本SF大賞を受賞します。「特別賞」枠を除き、故人が同賞を受賞するのは初めてのことでした。
また、2010年には『ハーモニー』の英訳版が出版、アメリカでペーパーバック発刊されたSF小説を対象とした賞であるフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞し、話題となります。
『ハーモニー』のあらすじ
『ハーモニー』の舞台は、核戦争を発端とする21世紀の初めに起こった「大災禍(ザ・メイルストロム)」と呼ばれる地球規模での荒廃の時代を経て、極度の厚生社会、高度医療社会が実現された世界です。
人々はある年齢になると自分の体にWatchMeというソフトウェアを入れ、体内の恒常性を常時監視するようになります。WatchMeはメディケア=個人用医療薬精製システムと繋がっており、異常に対して万全の予防を自動的に行います。
これは「誰も病気で死ぬことができない世界」であり、争いのない/起こらない世界を意味します。対立や紛争の温床となる国家、その個々の「政府」の代わりに、世界は「生府(ヴァイガメント)」によって統治され、「生命主義」によって自分、そして他人の健康を最大限に尊重する社会が生まれたのです。
そんな社会に嫌気がさしたトァン、ミァハ、キアンの3人の少女は餓死による自殺を試みますが、ミァハだけが自殺に成功してしまいます。
死ねなかった少女の1人、トァンは世界中で6000人を超える人々が全くの同時刻に同時に自殺する現象を、もう1人の生き残りの少女キアンの自殺という形で目の当たりにするところから大きく物語は動き出きます。
SFとしての『ハーモニー』
SFとはScience Fictionの略であり、これはヒューゴー・ガーンズバック(※1)の発案です。
現実世界を扱う文学の舞台が地球に限定され、我々の世界を忠実に写すものならば、逆にSFは想像の文学に属し、その宇宙は、作者の想像のなかにしか存在しない生物、文明、発明、世界でできているという特殊性があります。いい換えるならば、我々が暮らす自然世界から自由になった文学であり、SF文学はまさに不可能事の芸術であり創作(※2)なのです。
SFの大きな特徴はテーマを持った文学であることであり、そのテーマは様々ですが、主要なものとしてここでは「宇宙」「時間」「機械」「異世界・異次元」「改造人間」を挙げましょう。それをさらに細かく分かりやすく分類すると以下のようになります。
①宇宙……宇宙旅行、テラフォーミング、宇宙人、宇宙での戦争
②時間……タイムトラベル、(近)未来・ユートピア、歴史改変
③機械……ロボット、アンドロイド、電子頭脳・人工知能
④異世界・異次元……パラレルワールド
⑤改造人間……ミュータント、クローン、サイボーグ
『ハーモニー』の舞台は核戦争によって、「大災禍」が起こった後の世界です。さらに、人々はWatchMeを埋め込まれ、病気にならない体です。ハーモニーにおけるWatchMeは電子的なものであり、他にも拡張現実などの近未来的な道具が多数登場します。そういった点では③の機械も大きな要素となるでしょう。また、WatchMeを埋め込まれた人々はある種の“改造”が施されており、そういった点では、⑤の改造人間も要素に含まれます。しかし、あくまで③の機械、⑤の改造人間も、人類の健康と世界の安寧を目的とした、大規模福祉厚生社会という「ユートピア」を作り出すものです。そのため、『ハーモニー』は②の時間に含まれる近未来のユートピアをテーマにしたSF作品と位置づけることができると考えられます。
伊藤計劃の描く物語と『ハーモニー』というディストピア
※ここからネタバレが含まれます!
伊藤計劃は佐々木敦によるインタビューのなかで、『ハーモニー』という作品をつくる出発点に関して、こう述べています。
「『虐殺器官』では「虐殺の言語」っていうものを描いたわけですけれども。ならば人間が生得的に持っている、そういう器官があったらどうなんだろう。じゃあそれを抑えるものがあったらどうだろう、絶対的に平和な世界が描けたらそれは一体どんなものなのか、っていうのが最初の発想ですね。平和な世界のストレスを描くという」※3
彼自身病院にいることが多く、そういった経緯から医療と人間の観点で物語を考えていったそうです。
『ハーモニー』の起承転結はごく簡単なものです。少女時代の3人の出会いと自殺未遂に始まり、13年後の大量自殺事件とキアンの自殺をきっかけに、生命主義社会の裏にある壮大な闇とミァハの影を、謎解きをしながら追いかけるというストーリーです。この物語は堅牢に考え抜かれた設定に隠れていますが、実際は少女達の物語なのです。
伊藤計劃はインタビューで3人の少女を登場させた理由を語っています。
「(トァンとミァハの)二項対立では面白くなくて、三項対立にして初めて他者というものが出てくる。「あなたと私」だけだと実は世界って存在しないんじゃないか、という気がして。「あなたと私」に干渉してくる第三者によって、「世界」っていう広がりが出てくるんだと思うんです。そういう意味でキアンは「社会」の象徴として出したというか。そういうキャラですね」
伊藤計劃の物語の特徴として、一人称で物語が展開していくことが挙げられます。伊藤計劃は三人称に対して胡散臭さを感じ、「誰かの物語でしかないんだったら三人称を使うよりは一人称を使ったほうがいい」と考えていました。物語は誰かに寄生することでしか存在しないものとし、物語が誰の責任で物語られているかを重要視していたのです。
この「誰かに寄生」とは我々読み手ではなく、登場人物のことと推測できます。登場人物なしに物語は進行できません。フィクションといえど、三人称を使い、誰の物語か曖昧にして他人事にするのではなく、語り手を置くことで誰かの物語として読み手に伝えるのを目的にしているのでしょう。
『ハーモニー』では人間は事故と老衰以外では死ななくなるが、子供たちの自殺という反作用的問題が起こる。この時点で、人類は一定の“ユートピア”を獲得しています。
しかし、最終的に物語は、大量自殺によって引き起こされた未曾有の危機に「大災禍」の再来の寸前で、人々の意識を消滅させることで、人々は完全な社会の一部として「ハーモニー」を獲得することで結末を迎えます。
人々から「意識」というのが無くなっても、人々は生活を続け、「意識」が無くなることによって、争いの可能性は排除され、究極のユートピアが完成します。この「意識」とは感情や医学的な意識ではなく、精神的な意識、自意識と呼べるものです。
つまり、この世界の住人たちは「自意識」を失い、人々は感情も疑問ももたず、自分の意識とは別の行動原理をもって、ただWatchMeによって定められた、自分にとって社会にとって正しい選択をし続けます。選択に疑問を持たないだけでなく、その正しい選択を行い続けるという「行為」にさえ疑問をもたない。そして、WatchMeによって生活をコントロールされていることに疑問をもつことはないのです。
そのような意識の無くなった世界に生きる人々は果たして幸せといえるのかという問題が提起されます。個人の意識が消滅し、健康というパラメータによってのみ幸福と社会の安寧が約束される社会はユートピアではなく、一種のディストピアといえるでしょう。
正しい選択を行い続けることで、争いも起こらず、悩まず、苦しまず、健康的でいられるのは間違いありません。しかし、自意識を失うということは、その選択に自分の意思が介在しないのです。自分の意思が介在しない行動を行い続けることに生きている意味があるのだろうか。
伊藤計劃は、人々の意識の消滅という形で、完全なる平和というハッピーエンドを与えると同時に、人類の存在理由・存在価値の剥奪されたディストピアを描いたのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
『ハーモニー』は近未来の社会の一部として生きた少女達の物語を軸にし、人類の死生観に踏み込んだ、ユートピアSF小説です。
さらには、その歪なユートピアを、一人称を用いることで、1人の主観として「社会」「死と生」「人間の自意識」を描くことに成功した、社会実験的な小説といえるのではないでしょうか。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。では、また。
●マツモトハジメ●
参考文献
伊藤計劃『ハーモニー 新版』 ハヤカワ文庫 2014年
ジャック・ボドゥ著 新島進訳『SF文学』 白水社 2011年
ロバート・スコールズ、エリック・ラブキン著 伊藤典夫、浅倉久志、山高昭訳『SF その歴史とヴィジョン』 TBSブリタニカ 1980年
※1:1923年にガーンズバックが、自身が編集する雑誌のある号を“サイエンティフィクション特集号”と呼んだことに由来
※2:ジャック・ボドゥ著 新島進訳『SF文学』 白水社 2011年 10~11頁
※3:伊藤計劃『ハーモニー 新版』 ハヤカワ文庫 2014年 伊藤計劃インタビューより