_獄中哀歌_

加藤介春著『獄中哀歌』「赤き日」眠れる嬰児

すやすやと眠れる嬰児の
とぢじ眼蓋をうかがひながら、
しづかに揺籃のまはりをめぐる。

揺籃をすかし見れば
うごかぬ白き眼蓋、
しづかに嬰児は眠り居れり。

しづかに、されど草や木のやうに
はた、動物のやうにふとり居れり。

顳顬(こめかみ)のあたりより髪の中へ
はひいりて消えし太き脈、
そのなかを命が通る。

揺籃のそとへいだしたる手は
匂へる光とぬくもりを握りしめ、
くちびるは乳房をおもひ出して夢にうごく。

それをうかがひながら揺籃をめぐれば
心のふとあまへるやうに
眠れる嬰児はにつこりほほゑむ。
      〇
眠れる嬰児をのぞき見ながら
揺籃のまはりをめぐれば
子をそだて居る獣のごとし。

子をそだて居る獣のごとき
心をいだきて揺籃のまはりを
しづかにめぐれば悲しくなれり。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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