Hyo Jin Moon (孝進)

私は、高校時代まで、さだまさしにハマりました。
きっかけは、深夜ラジオでした。
私の住んでいた地域では、その番組は録画放送で、翌日の夜8時からということで、ちょうどプロ野球のナイター放送と重なってしまうので、雨で試合が中止になるか、冬場のシーズンオフの時期しか聞けない、幻の番組でした。

放送中の、さださんの歌が流れる部分だけ、ラジカセでスタンバっていて、テープにレコーディングし、それを後で何度も聞き返しながら歌詞起こしをし、試験勉強の真っ最中に、さださんの歌を覚える、という日々でした。

さださんの歌を勉強中にBGMで流すと、とてもきれいなメロディで眠くなってしまい、全然、勉強できませんでした。
しかし、聞いていくうちに、歌詞が耳に入ってきて感動が止まらず、やはり、勉強が手に付きませんでした。

大学に入ってから、入学祝いで親に見にコンプを買ってもらい、当時はレンタルCDの最盛期だったので、CDを借りて来てはダビングする、という学生生活が始まりました。


間もなく、原理研究会と出会い、すぐに入教して、寮生活をするようになります。
当時の原理研究会の世界会長は、文孝進(Hyo Jin Moon)という、教祖の長男で、NYの真ん中のManhattan Center Studioでロックを何曲も作っていました。
世俗の、間違った愛の歌ではなく、宗教観に基づく、天のロックを作って、世の中に善の文化を広めよう、という志だったようです。

その年のクリスマスに、幕張メッセでコンサートを開いたことで、私も生演奏を聴くことができましたが、それまでにたくさんのHyo Jin MoonのアルバムCDを聞きました。確か、その時までには12枚のアルバムが出ていたと思います。

そして、私のミニコンポについていた多連装CDの機能を使って、ヘビメタ系の重いロックの曲調ではない、聞きやすい音調の楽曲を選んで、1本のカセットに集めたりもしました。

その時、前の曲とのつながりや、流れを切らさないように、そして、だんだんクライマックスに盛り上がって行けるように曲順を選んだり、46分テープのA面・B面にピッタリ、残り時間が余らないように曲数を選んだりしました。


その中でも、一番好きだったのが、「カナン駅で」(Canaan Station)という曲でした。

(概要欄に、歌詞の日本語訳もあります)

信じる道を進んでいく中で、いろいろな反対や障害に逢うことがあります。
それでも、負けずに歩んでいくことで、やがて、周りの人にも気付いてもらえるようになり、青い空のように晴れ晴れとした心になれる、という曲です。

もうひとつが、「私の足が伸ばせる時まで」です。

頑張ってたどり着いた時に、ようやく、足を伸ばせてゆっくりできる、
それまでは、どんな苦労があろうとも、休まず進んで行こう、という内容です。
(歌詞は、和訳がないので、概要欄の韓国語をコピペして、翻訳を見てください)


韓国特有の、儒教文化から来る、親孝行の思想も背景にはありますが、一般のロックなどの、不埒な愛の風潮を格好良く見せようとするものではなく、こうした美徳をポップな曲調で奏でる歌は、もっとたくさん、広まって欲しいと思っています。

#ハマった沼を語らせて

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集