『55歳からのハローライフ』「漠とした不安」の救済と「明るい未来」の提示
55歳をやや遠くに見つめて
私が55歳に至るにはそれなりに年月を要するのだが、数多の人生の諸先輩が通り過ぎて行った55歳とはどういうものか。
その時に見える景色や抱く思い、そして未来の捉え方は、私の今のそれらと異なることは間違いない。
"時間は過ぎて行く"って 少し違う気がする
"時間は消えて行く" ここから先は
これはASKA氏の傑作ソロアルバム『SCRAMBLE』(2012年10月17日発売)の収録曲『L & R』のサビの歌詞である(Chage & Askaファンにとってはこの曲のタイトルや歌詞における比喩は感涙ものである)。
発売当時、このサビは、喉に刺さった棘の如く、折に触れて、私に訓戒と焦燥を与え続けた。
改めて当時の状況を調べると、奇しくも1958年2月24日生まれのASKA氏が間もなく55歳になろうとするときの楽曲であったのだ。
55歳とはこういう年であるのだろうか。
小説の役割
さて、将来に向けて、予め先人の知恵を学べることは読書の醍醐味の一つである。
もちろん、教養書や自己啓発書も有意義である。これらは多くの読者の最大公約数的要望を満たすように書かれている。
しかし、今回、私はマーケティング手法・ペルソナのごとく、具体的なケースを学びたいと思ったのだ。
しかも、ノンフィクションではなく小説を望んだ。
小説とは読者に「良い」変化を与えるべきものである、と私は思う。この「良い」という言葉は曖昧だが、「より強く」、「より優しく」、「より賢く」、「より正しく」といったことである。
これを鑑みれば、読後きっと「漠とした不安」は救済され、「明るい未来」が提示されるはずであり、正にそれらを求めていたのだろう。
このような思考過程は健全とは思えない。が、さして不健康でもないと思う。なぜなら、現代日本人の多くが同じような思いを持っているのだから。
学んだ道標
結果、5編の独立中編からなる『55歳からのハローライフ』(村上龍、幻冬舎)は私に「期待以上」を与えてくれた。
いずれも設定は良い意味で日常的。ストーリーも澱みなく面白い。
が、今回はストーリーには触れずに、初期目的である学びの部分、つまり、逆説的かつ演繹的に道標として学んだことを書きたい。
まず上で定義した「漠とした不安」は、本作中の5編を通し、因数分解すれば、以下の通り2種4項目に分解されることがわかる。つまり、「お金」、「健康」、「孤独」に関する「相対的不安」(1種3項目)と、「人生の残り時間は予測できない」という「絶対的不安」(1種1項目)である。
実に、最初の1編『結婚相談所』の主人公・中米志津子の独白台詞を介して、著者は「相対的不安」を明確に述べている。まさに全5編に流れるコアメッセージが書かれており、最初の1編として相応しい。
お金や健康など、不安はある。不安だらけと言ってもいい。だが、人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ。孤独ではない。
これは中米志津子が「相対的不安」を克服するための方法論なのだが、逆に上記「お金」、「健康」、「孤独」が我々共通の不安であることを照射する。
が、有難いことに全5編に「明るい未来」が用意されている。
以下、ストーリーのネタバレ回避に十分配慮しながら、その他4編における「明るい未来」、つまりは読者への応援歌を抜粋する。
これら抜粋を読むだけでも本作のエッセンスは得られるはずである。
『空を飛ぶ夢をもう一度』
実は、おれのほうも、不安だらけで、正直、生きるのが苦しい。しかし、少なくとも家族がいて、まだ生きている。おいしい水も飲める。そして、生きてさえいれば、またいつか、空を飛ぶ夢を見られるかも知れない。
『キャンピングカー』
確かに焦りはある。無為な日々を過ごしていることには変わりはない。だが、今は日々を過ごすだけで充分で、焦るのがもっともよくないと若い医師は言った。損傷した臓器がゆっくりと復元されていくように、時間の経過によって、新しい関係性が作り上げられるのだそうだ。
『ペットロス』
お茶を飲んで、とにかくまず気持ちを落ちつかせる、そこが出発点だと、高巻淑子は、そう思った。
『トラベルヘルパー』
見上げると、星がまたたいている。
村上龍氏の印象
初期作品(『限りなく透明に近いブルー』、『トパーズ』)の印象では、表立って取り上げにくいネタを生々しく料理することに長けた「センス系早熟型」の時代の寵児という印象であった。
しかし、本作においては驚くほど実直な印象を受ける。
私のイメージは覆された。
村上龍氏は己が書きたいものだけを書くことで糊口できる、著名過ぎる流行作家のひとりである。
おそらく、文学界の「若き獅子」であった時代を過ぎ、自らと世間の両方に誠実に向き合いながら年を重ね、同世代(本作が単行本化された2012年時点では、1952年生まれの著者は60歳)の悩める子羊を救うことに関心を持ったのではないか(ヤングライオンからナイスミドルへの自然な推移は伊集院静氏との相似を感じる)。
そして、やはり一般大衆と同じように悩める自分自身(経済的なことは別として)への応援歌でもあったのではないか。
読むべき人
対象読者については55歳(前後)の方に限局されていないようだ。
本作には下記副題が付されている。
Life Guidance for the 55-year-olds and all triers
直訳するなら、「55歳」と「すべての努力家」への生き方指南、といったところである。
あなたが若者であっても、あるいは還暦を過ぎていようとも、あなたが努力家である限り、この本の対象読者である。
加えて、“all challengers”ではなく“all triers”としているところも興味深い。「挑む」のではなく、「努める」こと。
もし、あなたが「挑む」ことが難しい状況であっても何も問題はない。
ただ、「努める」ことさえやめなければ。
少なくとも私はそのように理解したいのだ。