遠慮のかたまりが乾いてきた(自由律俳句)
遠慮のかたまりが乾いてきた
飲み会も後半になるにつれ話は盛り上がってきている。
しかし、今それどころではない。
目の前にあるこのフライドポテトに手をつけるのは一体誰なのか、気が気ではないのだ。
耳から入る上司のありがたい話は、フライドポテトの水分とともにどこかへ抜けていく。
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日本人独特の文化だと感じるものの一つに「遠慮のかたまり」がある。
関西以外ではこの表現が通じないなんていう話もあるので説明をしておくと、「大皿の上で残り一つになった食べ物」の総称のことである。
「もしかしたら、もう一つ食べたい人がいるかもしれない」という思考で最後の一つを全員が残すことにより起こるこの現象は、”思いやり”の形の一つで個人的に好きなのだが、
そのまま食べることなく退席する雰囲気となるといつも「手をつければよかった」と後悔する。
別に食べ物を残したかったわけでもないし、本当はどちらかというと食べたかったものだって皿の上で寝そべっているのだ。
その予兆は残り2つになったときから始まる。
先ほど記した通り、遠慮のかたまりは「残り一つになった食べ物」を指す。
つまり、2つ前まではあまり注目されないということ。
「最後の一つにてをつけるのは気がひけるし、これは欲しい!」
急ぎめに箸を構えて周りをみる。
飲み会だと同じような目つきと箸構えの人が机に必ず一人はいる。
「あぁ、あの人もか。」と思いながら隙をみて狙う。
しかし、目を見ながら話を聞いてしまう私のこの癖が隙を奪っていく。
そしてひとしきり大きくリアクションをし、やっと終わったと目を下ろすとそこには”遠慮のかたまり”へと変貌した食べ物が居座っているのだ。
ここから、遠慮のかたまりに手をつけるにはいくつかの方法を考えなくてはならない。
ゆっくりと今までの経験を思い出し、頭をフル回転させる。
まず最初に、すぐに手をつけるという方法。
これは、「優しさが足りない人」となってしまう恐れがある。
「あの人、本当に意地汚いよね」なんて違う女子会で陰口を叩かれたりなんかしたら私はもう心が粉々になってしまう。
その事態はどうにかして避けたいのですぐに手をつけるのは得策ではない。
次に考えるのは、「遠慮のかたまり残ってるけど誰かいらん〜?」と自ら声をかける。
一見、気遣いをしているようにも見せれていると思い実行していたこともあった。
この質問をすると最後の一つを食べることができるのは自分になることが多いのでとても気に入っていたが、ある日ふと気づいた。
「気遣いをしているふりして自分のものだと宣戦布告している、いやらしい奴だとバレているのでは…?!」
あまりにも勝率が高い理由がわかってからこの方法も得策ではなかった。
そして最後の手段、「乾いてきたから仕方なく食べる」というふりをする。
「もうカピカピなってきたから食べるよ〜!」とまるで仕方なく残すのも悪いからと、気遣いできる自分を演じる方法だ。
しかし、これも大きな落とし穴が潜んでいる。
「乾いてまで食べたかった、欲動しい奴」になりかねないという点だ。
この方法は演技力で乗り越えることができるが、失敗した時は上の2つの方法より代償が大きい。
プライドと自分の欲求を天秤にかけながら乾いていくフライドポテトを眺め3つの手段を真剣に選ぶ。
そして、「もーらいっ☆」という可愛い声と同時に突然目の前から消えたフライドポテトに思いを馳せながら、今日も飲み会の終わりを迎えるのだ。
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