時間の距離化について
金曜の夜と日曜の夜とでは、感じるものが違う理由は何でしょうか?
それは、
「これから楽しい週末が始まる。まだ金曜だから」 と
「もう週末は終わりだ。もうすぐ月曜が来る」
という風に、
月曜が来るまでの時間の長さを意識しているからだと思います。
「まだ」と「もう」
この言葉がそれを如実に表しています。
時間は本来、「今ここ」しか存在しないので、過去も未来もありません。
だから、「あと何日、あと何時間」とかいうのも間違いなのです。
「あと何時間」と残り時間を気にした時点で、 時間に距離感を与えてしまいます。
本来、時間に距離などありません。
何故なら、存在する時間というのは、「今ここ」だけであり、
距離などはかりようがないものだから。
それを、多くの人は、時間に距離を持たせようとします。
だからこそ、
「まだ」と「もう」
という考えが生まれ、時間に距離の概念を付与してしまうのです。
今からある特定の未来の場面まであと何時間くらいか
という考えをするから、「まだともう」に振り回されてしまうのですが、
もし、基準が「今ここ」にあるのなら、目指すは「今ここ」しかありえないので、時間に距離感などなくなってしまいます。何せ今がゴールに設定されているわけですから。、
「今ここに意識を集中する」ことの重要性は、
時間の距離化を防げるということからも
浮き彫りになってくると思います。
でも、時間の距離化をすることについて、多くの人は、
「時間を距離化することで、残された時間を意識し、
やれることとやれないことを把握し、計画的に時間を使うことができるようになる」
という理屈で正当化するでしょう。
でも、距離化することで、「まだ」と「もう」という感情も芽生え、
それが、本来できることを不可能に印象付けたり、十分にできることの取り掛かりを遅らせたり、とマイナスの影響を与えてしまうことが多いのです。
結局、私達の人生は、どうあがいても「今ここ」の連続でしかなく、
「今ここ」以外に存在しえないわけです。
だからこそ、自分が「今ここ」に生きているか否かの判断材料として、
時間の距離化をやっていないかという視点を持つことは大事だと思います。