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「核なき世界」訴え続け 坪井直さんを追悼する(2021年10月28日14時30分)

原爆投下から76年。「ネバーギブアップ」の精神で核兵器廃絶運動をけん引してきた坪井直さんが96歳で亡くなった。「ピカドン先生」と親しまれた坪井さんの足跡については、時事通信を含め、多くのメディアが報じている。ここでは、坪井さんが代表委員を務めてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の歩みを紹介することで、哀悼の意を表したい。(時事ドットコム編集部 正木憲和)

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「ノーモア・ヒバクシャ」世界に

 日本被団協は、マーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で「第五福竜丸」が被ばくし、反核運動が高まった1956年8月結成。広島、長崎の被爆者らでつくる全国組織で、結成宣言では「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と訴え、「再び被爆者をつくるな」を合言葉に核兵器の全廃を目指し活動を続けてきた。東西冷戦の影響下の60年代に国内の原水爆禁止運動が分裂する中、思想・信条を超え団結を守った。

 結成後、代表委員がソ連や中国、英国などを訪問し、国連や国際NGOなどの会議にも代表団を派遣。被爆者が自身の体験を証言した。1982年6月の第2回国連軍縮特別総会での故・山口仙二代表委員(当時)による「ノーモア・ヒバクシャ」の演説は世界の人々に感銘を与え、「核兵器なき世界」を目指すとした「プラハ演説」でノーベル平和賞を受賞したオバマ米大統領(当時)が2016年5月、現職として初めて広島を訪問した際、坪井さんは「共に頑張ろう」と言葉を交わしている。

 日本被団協はこの年、核禁止条約の成立を目指す署名活動を開始。国連で開かれた交渉会議にも事務局次長らを派遣し、17年7月の採択を後押しした。条約不参加の日本政府に対しては、署名・批准を求める要請を続けている。

国連軍縮会議で発言する坪井直さんと広島市の松井一実市長=2017年11月29日午前、広島市中区 

 原爆の後遺症や差別など被爆者の苦しみに寄り添い、原爆被害への国家補償や、被爆者援護策の充実を求める活動も展開。被爆者に無料の健康診断を実施する原爆医療法や、各種手当てを支給する原爆特別措置法などを実現させた。

 国に原爆症認定を求める集団訴訟も積極的に支援してきた。訴訟は2009年8月、敗訴した原告を含む全員を救済することで国と原告団が合意し、原爆症救済法の立法につながった。

日本被団協はノーベル平和賞の受賞も期待されていました。もっとも期待が高まった2017年、ノーベル賞委員会は核兵器禁止条約を推進してきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)への平和賞授与を発表。核廃絶運動を後押しする発表でしたが、当時、「どうして被爆者ではなかったんだろう」との思いを抱いたのも事実です。ご冥福をお祈りしつつ、後半で紹介します。


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