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プーチン大統領は法廷に立つのか◆どう裁く戦争犯罪、国際刑事法の今【時事ドットコム取材班】(2022年04月23日10時00分)

 ロシアによる侵攻が続くウクライナ。首都キーウ近郊で民間人とみられる遺体が多数見つかるなどし、ロシア軍による「ジェノサイド(集団殺害)だ」と追及する声が高まっている。こうした戦地での非人道的行為はどのようにして裁かれるのだろうか。そもそもプーチン大統領の刑事責任を問うことは可能なのか。戦争犯罪の研究者で、日本の大学で初めて国際刑事法のゼミを開設したフィリップ・オステン慶応大教授に詳しく解説してもらった。(時事ドットコム編集部 太田宇律

【ニュースワード・国際刑事裁判所】  【特集】時事コム取材班

 ―まず「戦争犯罪」の定義について教えてください。

 国際法上、最も重大な犯罪として「戦争犯罪」「ジェノサイド犯罪」「人道に対する犯罪」「侵略犯罪」の四つがあります。マスメディアなどではこれらを総称して戦争犯罪と呼ぶことが多いようですが、厳密には「戦争犯罪」と他の三つの罪は区別されています。これらの犯罪は個々の被害者や被害国だけでなく、国際社会全体の共通の利益を侵害している点に特徴があります。さまざまな条約で禁じられていますし、もしそうした条約がなかったとしても、国際慣習法に基づいて処罰できる重大犯罪だと考えられています。

 ―四つの犯罪のうち「戦争犯罪」はどのような行為を指すのでしょう。

 戦争でしてはならないとされる「重大なルール違反」です。例えば、民間人や捕虜、負傷兵といった非戦闘員を殺害・拷問したり、虐待を加えたりする行為、財産の略奪、毒ガスや化学兵器など国際法で禁じられた武器の使用、病院や文化財の破壊などがこれに当たります。

ロシアのプーチン大統領(2022年4月14日撮影、EPA=時事)

 ―「人道に対する犯罪」や「ジェノサイド犯罪」とはどう違うのでしょうか。

 ナチス・ドイツによる非人道的行為を処罰するために提唱されたのが「人道に対する犯罪」です。敵味方を問わず、自国民も含めた民間人に対する虐殺、奴隷化、追放といった行為がこれに当たります。「ジェノサイド犯罪」は「人道に対する犯罪」のうち、特定の国民や人種、宗教、民族などの集団それ自体を破壊してしまおうとする行為を別の重大犯罪として独立させたものです。殺害行為だけでなく、子どもが生まれないようにする行為なども含まれます。

 ―四つ目の「侵略犯罪」とは何でしょうか。

 かつて東京裁判では「平和に対する罪」と呼ばれていましたが、侵略戦争を引き起こす行為そのものを犯罪ととらえる考え方です。ほかの三つの犯罪とは異なり、この罪に問われるのは国家の指導者級の人物だけです。

 ―ウクライナ侵攻では、どのような行為が「四つの犯罪」に当たると考えられますか。

 民間人の殺害や虐待、拷問、性的暴行や略奪といった行為はいずれもジュネーブ諸条約などで禁じられており、「戦争犯罪」に当たるでしょう。南東部マリウポリの産科・小児科病院や劇場に対する攻撃も同様です。こうした行為が複数の地域で確認されれば、ある一定の計画や政策に基づいて広範囲かつ反復して行われていた疑いが強まり、「人道に対する犯罪」に当たる可能性も出てきます。

 また、ロシア軍がウクライナ市民を強制的に移住させているとの報道もあり、こうした行為は「戦争犯罪」と同時に「人道に対する犯罪」に当たる可能性があります。

 さらに、そもそもウクライナ侵攻自体を国際法上違法な侵略戦争を始めたととらえることができ、指導者であるプーチン氏に「侵略犯罪」が成立すると考えられます。

フィリップ・オステン慶大教授(国際刑事法)

 ―各国首脳から民間人殺害を「ジェノサイド」と非難する声が相次いでいます。

 バイデン米大統領はロシアの作戦について、「ウクライナ人でいることを不可能にしようとする試み」と表現したそうですね。もしロシア側にウクライナ人の民族としての存在自体を破壊しようという計画があって、それがこの戦争の目的の一つだったとすれば、「ジェノサイド犯罪」が成立し得る余地があるでしょう。ただ、この犯罪の要件である「特定集団の全部または一部を破壊する意図」があったことを証明するのは、かなり難しい。「ジェノサイド犯罪」で有罪となったケースは、ルワンダや旧ユーゴスラビアで起きた虐殺など、非常に少ないのです。

 ―誰がこうした罪の「容疑者」に当たるのでしょうか。

 まずはその行為を行った実行犯、直接命令・指揮した人物は「正犯」や「共犯」と考えられます。例えば民間人を殺害した末端の兵士、虐殺の命令を出した指揮官らがこれに当たるでしょう。全体の作戦を考案した参謀級の人物、さらに上の国家元首といった自ら手を下していない人物も「間接正犯」として処罰の対象になり得ます。日本で言えば、末端の暴力団組員の犯罪についてトップの刑事責任を問うケースに似ていますね。

 ほかにも「上官責任」といって、部下によるジェノサイドなどを防止しなかったり、処罰しなかったりした上官を訴追できる仕組みがあります。

 ―こうした犯罪は誰がどうやって捜査し、処罰するのですか。

 大きく分けて二つの方法があります。一つは、オランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)をはじめとした国際刑事法廷が裁判を行う方法。もう一つは、各国の捜査機関や裁判所が自国の法律に基づいて裁く方法です。

 よく誤解されるのですが、ICCは、強力な権限や独自の警察部隊を持った世界の「スーパー裁判所」のような存在ではありません。証拠収集や容疑者の身柄確保といった捜査はICC設立条約の締約国の協力に頼るしかないのです。訴追・処罰はあくまで締約国が主役で、それが難しい場合にICCが管轄権を行使できるという構造になっています。

 ―締約国である日本の捜査機関や裁判所も捜査や裁判を受け持つことができる。

 その通りです。日本の法律では通常、外国で外国人が外国人に対して行った犯罪を裁くことがほとんどできませんが、日本が加入しているジュネーブ諸条約などにより、「戦争犯罪」に該当する一部の行為については国内刑法を適用することができます。ウクライナで証拠を収集し、実行犯の身柄を確保して日本で刑事裁判を始める。非常に高いハードルがありますが、理論上は可能なのです。ただ、日本は「戦争犯罪」を国内法で規定していませんので、通常の殺人罪や傷害罪を適用して起訴するしかありません。戦争犯罪以外の三つの犯罪については、日本人が被害者でない限り、日本の刑法を適用することはできません。

逮捕の可能性はあるのか。後半に続きます。フィリップ・オステン(Philipp Osten)慶応大法学部教授(国際刑事法)は1973年生まれ、ドイツ・ボン出身。父が外交官で、中学時代から多くの時期を日本で過ごしました。ベルリン・フンボルト大法学部卒、慶応大大学院法学研究科博士課程修了。法学博士(フンボルト大)。2003年慶応大法学部専任講師。04年、日本の大学で初めて国際刑事法を扱うゼミを開設しています。

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