2004年、移転初年度の北海道日本ハムファイターズとともに。
2004年7月、小6の修学旅行で洞爺火山科学館にいた記憶の再現性がやばい。
修学旅行自体楽しかった記憶しかないんだけど、一番鮮明に覚えてるのが科学館見学の時間。っていっても科学のお話は何も覚えてなくて、そこで1組と3組のやつら(わっしは2組)と話して、「振替休日となる修学旅行最終日の次の日、ファイターズを観に、札幌ドームに行くことになった。」という確かな記憶を脳が忘れない。
修学旅行に行くまでも他クラスとの交流は普通にあって、何故だか小6までのおれは、他クラスのやつとも自然と友達になる術を持っていた。いや、おれがってより、みんなが持っていたのかもしれない。
明日ファイターズあるよな?みんなで観に行こうぜ、ってなった。多分、8-10人くらいで行った。サッカーとか野球のクラブチームで忙しい奴とか習い事で忙しい奴とか、なんやかんや結構いた。だから、その日が唯一、大所帯で観戦した最初で最後の日だったように思う。
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2004年、おれらの小学校ラストイヤーのその年が、日本ハムファイターズの記念すべき北海道移転初年度でした。
当然キッズ会員になって、4月からなかなかの頻度で放課後、帰りの会が終わると同時に爆速で帰宅し、爆速で福住駅行きの自宅最寄りのバス停に向かい、終点、福住駅手前の「福住3-3」停留所で降りる。降バス後、野郎共は南ゲートまで50メートル走のペース配分で走る。50メートル走のタイムでは5年生のときに8.2秒くらいで学年3位を取ったことがあるおれも、体力が100メートルまでしか持たないので途中で息が切れるが、気力で盛り返す。
キッズは年間3試合?も行けばチケットの元が取れることも覚えてる。10-15試合は行ったんじゃないかな。
修学旅行翌日のその日、大所帯で札幌ドームに行った。なんだか、修学旅行の続きみたいだった。むしろ、最終日のようだった。
1(右)坪井
2(中)SHINJO
3(三)小笠原
4(左)エチェバリア
5(一)セギノール
6(二)木元
7(捕)高橋信
8(指)小田
9(遊)金子
投手:金村
懐かしくて、開幕オーダーを調べてみた。こんな言葉であらわしたくないけど、エモすぎる。
リードオフマンにエリート安打製造機がいた。
メジャー帰りのスーパースターがいた。
侍がいた。
天使がいた。
スイッチヒッターの本塁打王がいた。
打撃の天才がいた。
強打の次世代キャッチャーがいた。
打撃の天才がいた。
ファイターズの象徴がいた。
エースがいた。
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そのシーズン、日本ハムファイターズという球団は、チームは、選手は、北海道の野球ファンに確かな未来をみせてくれた。
おれらも、次年度からの中学生活に向けて、青春を謳歌した。と思う。自由だった。
大所帯で行ったその日、試合の途中で、誰かが言った。
「え、後ろに〇〇(3組の担任の女)いんだけど…」
おい、ババアのくせに振替休日の日に野球見に来るなんて、余裕あんな、と思った。
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