隣の芝

人間が感じることなんて全てあるあるだが、年々ふとした時にとてつもない恐怖感に襲われる。大体22時過ぎくらい。

日本で生まれ育ったからやはり〜22歳までを学生期間として、それ以降を社会人期間として考える。社会人7年生なんだが、これがとてつもなく恐ろしい。学生時代というのはどの部分の6年間を切り取っても自分の尺度てきにはまあ色々あったわけだが、やはり社会人の人生が薄すぎて死にたくなってくる。特にここ数年は、他の同年代のみんな人生を送っているなかで何を考えて毎日毎日生きているのだろう?とかんがえてしまう。隣の芝は青いもので、どうしても結婚してる人や子供が産まれた人、誰かと深く関わっている人を見ると自分の何もなさに絶望するだけでかといって何もしないのがこの親にしてこの子ありかと遺伝子の責任にしてなんとか生きているという感じである。

特に前の仕事を辞めてから感じ始めたことだが、大学を卒業したのが昨日のような感覚でここ6年を生きているため、あの時小学生だった教え子が高校卒業?あの中3生はもう大学卒業?社会人になっちゃってるの?となってしまうわけである。10代の子と写っている写真の自分は今の自分と全く同じように見えるのだが確実に老けているわけだし、隣の10代の子は今となっては全く垢抜けて成長しているに決まっているので、恐ろしく感じてしまう。

つい先日も神保町をチャリで過ぎたあたりから人混みが異常でチャリを降りざるを得なくなって舌打ちをしたが、日本大学の卒業式の会場があってまあイケイケの男女たちが我ここにありという顔で佇んでいるわけである。これ以上は何も言えない。


8ヶ月ぶりに札幌に帰省したときに、女子大生2人と会った。彼女Aは俺が社会人1年目の時も女子大生だったし、彼女Bは社会人3年目に俺が面接して採用したときも女子大生だった。年齢は3つ下なので、もう立派な25歳のアラサーである。感じていることの違いはあれど同じようなことを思っているのかもしれないけれど、それとこれとはなかなか違うわけであり、むしろこちらからすると年々見た目も垢抜けてきているようにも見え、歳を重ねることは素晴らしいことなんだなとも思ってしまった。特段綺麗になっているわけでもないのだが、やはり一種の芋っぽさがなくなってきているという点で女性は歳を重ねると価値がなくなってくるというのは違うとは思う。


結局言葉にすると気持ち悪く意味のわからない文章になるのだが、これは年々頭が悪くなってきているからなのでしょう。こんなところにタイピングする時間を本来はもっと有意義に使うべきなんだろうなとは思う。

隣の芝は青い。

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