野球世界大会に思うこと
WBCの予選ラウンドが終わった。ジャパンは全試合快勝でベスト8に進出した。今のところ結果としてはシンプルにほぼ文句ない内容で、さすが、史上最強チームとの呼び声の高さを感じさせてくれている。
W杯しかり、世界大会となると普段そのスポーツを見ない人間を巻き込み、国が盛り上がる。すると言わずもがな素人意見が多数散在されるのは常で、今回はわかりやすく村上がターゲットにされている。
かなり目につく意見の一つに、なぜ振らない!せめて振れ!→やる気ないのか!まで飛躍してる ^^な言葉も目につく。
今回、改めてその異常さを感じる打者としてソフトバンクの近藤があげられる。
日本ハムの試合結果や中継を主として見続けてきた人間の一人として、近藤の異次元のレベルは十分わかっていたはずだが、今回は今のところ特にバケモノじみた打席内容を維持し続けている。さて、村上と比較して何が違うのだろうか?去年の村上は単年の結果として、三冠王を獲得した。その時点ですでに球史に名を残す打者となった。のは間違いないうえでなぜ近藤が異常なのか。それは、一人だけパワプロの操作をしてるのと同じ感覚で野球をできているからである。
ド素人が見ても、村上!なぜ今の球振らないんだ!んでなぜそんなボール球振るんだ!気合い見せろ!とか言われちゃうくらい深刻な不振が続いている。これは果たして本当に根性気合い(や)メンタルの問題なのだろうか?答えは否だ。
近藤がなぜ、打率4割に1番近い男と言われ、これだけ高いレベルで高打率、高出塁率を続けられているのか。それはメンタルが強いからではなく、シンプルに「ストライクボールの見極めつまり選球眼が異常値で、かつヒットを打つ技術が高い」だけである。つまるところ選球眼が「パワプロをあるラインまでやり込むとストライクゾーンを脳が覚えてボール球をほぼ振らなくなる」レベルに到達しているからだと感じる。それができると、ヒットが出ない、ポイントがズレてなかなか修正できない→焦ってメンタルが崩れ、甘い球に手が出せず、クソボールほど振ってしまう。という確率がグッと減る。そうなると、技術が高レベルで安定するので→自ずとメンタルも安定し、特に世界大会という初めて見るピッチャーと対戦するという打者のハンディキャップに対して最も効果的な「ボール球を振らない、変化球の軌道を見極め、ストライクゾーンに来た球を自分の打撃の型でフェアゾーンに弾き飛ばす」ということができてしまう。外国の投手は日本の投手ほどコントロールが精密ではないのは事実なため、四球をとりまくり、高い技術でヒットゾーンに球を飛ばしまくり、結果打率も出塁率も5割とか超えちゃうやばい結果を何試合も続けられ、あとはメジャーMVPとかいう一生このあと出てこなさそうな日本人のバケモノに繋いでただホームに帰ってくるだけで面白いように得点が入っていくのである。あの人は、振ろうかな、振らないかな、どうしよう、迷う、うーん!!!!とかいうレベルで野球をやっていない。ただ一瞬でストライクボールを判断し、ストライクゾーンにくる球を自分のスイングで素直に迎え入れているだけなのである。
そもそも普段野球を見ない人なんかストライクゾーンがどうなってて変化球の軌道がどうなんてわかるわけもないので、結果まだ技術に伸び代がある若手のバケモノ打者に対して振れ!振らないと何も起こらないだろ!!となっちゃうわけである。これがスポーツ観戦の難しいところである。まあおんなじことをサッカー見てて思っちゃうからおあいこなんだが。
ここから準々決勝、準決勝、決勝と最大3試合あるわけで対戦相手のピッチャーのレベルが上がってくるわけだが、普段高いレベルのNPB投手と戦ってる侍打者にかかる期待値は大きく、特に近藤、大谷、吉田という技術が世界レベルの打者を擁する日本代表にとって得点を入れることは決して難しいものではないはずで、他にも確かな実力を存分に発揮しているヌートバー、NPBで地位を築いている山田、岡本、牧、山川が続く打者陣の顔ぶれは2006、2009に見劣りしない、それ以上の可能性を秘めている素晴らしいチーム構成であることは間違いない。
野球は、165キロを出す競技でもホームランの飛距離で競う競技でもない。9人を並べて相手より多く点をとったチームが勝つスポーツである。村上が打てていないことに非難轟々な人たちは、仕事でもいつなんどきも常に100点を取り続けている人たちなのだろうか。一人が苦しんでいたら、他の全員でカバーすればいいだけだ。その結果、格下相手とはいえこの4試合でバカほど大差で勝ったではないか。これ以上の結果があるだろうか。過去4回の結果を見ても、これだけ安定した得点を続けてきたことはなかった。
村上の打順を下げろとかいう人は、栗山さんが日本ハムで指揮をとった10シーズンのスコアボードを一から全部見返してほしい。村上を4番に起き続けることは、理屈とかではなく、監督としての栗山英樹の表現なのだから。