夕焼けに向かって走っては停まってカーブで左右に揺れる宅急便のトラックのシルエット 縦横無尽に走る電線や小川沿いの木の葉っぱそれぞれをどんなペンで描いたのか 筆の初めと終わりと軌跡を思い浮かべると楽しい もうすぐ夏至なんだってね
基本的に誰の情報も信じきらないようにする。でも、私より沢山下調べをして現地に行って本人に話を聞いた人の言う事なら、頭の中の引き出しの取り出しやすい場所に閉まっておく。有名な人もそうでない人も、時として間違った情報や、偏った発言をしてしまうこともある。でも、まあ、オープンにしとく。
今読んでいるノマドランドは面白い。 歴史を知ることや読書することは「100年以上も前に同じことで議論されてたんじゃん、なーんだ自分で悩んでるのあほらし」とか「この概念は比較的最近生まれたものなのか」と思わせてくれるって知った。学生のときもっと早くそれを明確に気づいていたらなぁ… それこそ牛痘ワクチンで牛になると言う人たちがいたことと、現在のワクチン接種を遺伝子操作とからめて不安がるのと似てるし、 リタイア(定年)の概念も近代になってからやっと生まれたと知って、 美術の教
#世界は贈与で出来ている ものを考えるときにシャーロックホームズの推理が求心的思考と言えるのは知らなかった。 内から外に出ていく逸脱的思考に対して求心的思考があるという。 常識や通例を知っているからこそ、それを逸脱していると感じることができる。 つまり、世の中を隅々までRPGの世界観の設定として捉えたときに、設定とは異なる事象を見つける。 それがシャーロックホームズの言う「観察する」こと。 ことあるごとに感じる漠然とした違和感を明文化するときに役に立ちそうだ。
#世界は贈与で出来ている 辞書というものは、ある程度対象言語を理解した段階で手にするもので… そう思う。しかし、それに対し 「寒いから窓を閉めるね」ような活動と言語コミュニケーション(=実践)を通じて、言葉の意味を知る と、展開するのに違和感を感じた。 ゼロ初級の外国語学習者のこともふまえると 実践→文脈 だと思う。 文脈(コンテクスト)は実践から発生することが多いが、実践のみならず、日本語クラスの導入のように、沢山の例文や場面情報を把握することで文脈が脳内でイメ
防災と感情の抱き合わせをメディアが発信することは、災害時に、恐怖や不安、悲しみを助長し、落ち着いていればできたはずの判断を鈍らせると思う。
詰め替え容器からのFordとGMという題の文を書いたのだが、今回は実際やってみたという話。 トライ①シャンプーとコンディショナーのボトルから石鹸に変えてゴミを減らし、詰め替えの手間を省く 【結果】 シャンプーは何とか石鹸で対応可能。しかしコンディショナーがないと髪がきしむ。 【現在】 石鹸+ボトルコンディショナー併用中 結局ボトルに頼る。 【今後の課題】 洗髪石鹸でコンディショナー不要のものをさがす。 コメント「美容も捨てがたい」 トライ②水筒を持っていきペット
まとまったことをtwitterでつぶやいたのでこちらにも。 先日行かなかった蒙古タンメン中本へ。びびりなので北極ラーメンは挑戦せず。うまし。 3月に始めたtwitterを通じてこの蒙古タンメンを知ったり、翻訳関連の仕事がきたり。今まで使ってたSNSとは違う繋がりできて面白いと思った。 でも、物事は紙一重なのだ。 昨日まで読んでいた本「蜘蛛の巣を払う女」には、 "情報提供者が情報を提供するには何か理由がある。提供している情報のみならず、「どんな情報を提供していないのか」に
メキシコシティのスニーカー屋PANAM 寄ったらいつも一足買っておきたい。
タコスレストランのlos tacos azulesのsessionイベントの絵をかきました。 唐辛子がテーマ。詳細はリンクから。 https://www.facebook.com/events/2502114183341478/?ti=cl
美味しいものをぱくっ。 ほとばしる旨み。 広がる香り。 何でもかんでも、一口目がいちばんおいしいのだ。 二口目以降は、一口目ほどの幸福度は得られない。曲線を描きながら徐々に幸福度は下がっていく。 それを限界効用逓減の法則というらしい。 大学でそれを学んで、法則の名前は忘れてしまったけど、ずーっと頭の引き出しに残っていたのだ。 本場のJAZZを一度聞いて、鳥肌と涙が出た。 ブラジルのサンバにのせて体が勝手に動いたときの喜びは今も体に染み込んでいる。 こういった人