二口目以降も美味しく食べるには
美味しいものをぱくっ。
ほとばしる旨み。
広がる香り。
何でもかんでも、一口目がいちばんおいしいのだ。
二口目以降は、一口目ほどの幸福度は得られない。曲線を描きながら徐々に幸福度は下がっていく。
それを限界効用逓減の法則というらしい。
大学でそれを学んで、法則の名前は忘れてしまったけど、ずーっと頭の引き出しに残っていたのだ。
本場のJAZZを一度聞いて、鳥肌と涙が出た。
ブラジルのサンバにのせて体が勝手に動いたときの喜びは今も体に染み込んでいる。
こういった人生の素晴らしい初体験を私はその「一口目」だと思っている。
自分で一回きりの体験と決めて、心の飾り箱にしまっておいてもいいと思う。
30歳までの人生で、これは一度はやってみたいというリストがぼんやりとあり、大学卒業以降いろんな一口目を楽しんできたような気がしている。
さて今後は、2方面追求できると思っている。
1. 新たな一口目
2. 二口目以降を一口目のように(あるいはそれ以上)味わってみる
1.は、新たな一口目は今まで私ができなかったこと、一人ではできなかったことに挑戦すること。
これは今までと同じ。
2.が特に意識していこうと思っているところ。
以前一口目を味わったモノやコトを、新鮮な気持ちで体験するのだ。
何も考えずに味わうと、過去の一口目の期待値に影響されて、思ったほどの喜びを得られないかもしれない。
しかし、心の持ちようによっては、過去の一口目を超えられるかもしれないと思う。
モノやコトだけではない。
人とのつきあいもそうだと思う。
大切にしたい人は、いつまでも大切にできるようになりたいから、互いの工夫とコミュニケーションが必要なことを常々忘れないようにしたい。
いかに実践へと繋げていくかのヒントをみつけた。
最近、徳川家康の伝記を読んだ。
鷹狩で握り飯を多めに持ち歩き、余ったら持ち帰って食べるというのを家来にも勧めていた倹約家。
彼が生涯飽きずに続けた趣味の鷹狩では、各地の野山を駆け巡る。そのため、家康は農家でなければ知り得ないような米の収穫の流れまでよく知っていたそうだ。きっと農民としばしば世間話でもしてその年の米の出来栄えも予想していたことだろう。
一つの体験をとっても、心の持ちようで、得られるものは何倍にもなる。
彼が言っていた「足るを知る」。
2.の「二口目以降の味わい方」の考えを、家康の生き方をヒントに実践してみようと思う。
モノやコトに溢れた世の中において、
「足るを知る」。
人生を楽しむためのマイブームである。