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精神が物質を支配する時代だとか
星占いによると、去年あたりまでは「地の時代」で物質が精神を支配する時代だとか。
今年あたりから2040年代初頭?くらいまでが「風の時代」で精神が物質を支配する時代なんだとか。
こういうと俄スピリチュアルや、エセオカルト(オカルト自体エセなもんだと言う意見もあろうがw)の界隈では、精神の覚醒だの超能力がなんて話しになるのは、結構なんか長い年月生きてきたら目撃したよなあ、と言うね。
まずは、周辺どうなのさ?
そもそも論で、その地の時代だの精神が物質を支配する時代だのの意味を勘違いしてんじゃないかなあ、と言う俄な方々をよく見ますし、まあ精神による豊かな社会というとすぐにちょうのうりょくpgrしたり、非現実的な某とバカにする様な感じなの多いですが、わりとそういう人って結構な頻度でエセ科学に裏付けされた終末論は信じちゃうんですよねw
スピリチュアルなんてのも、癒やしがどうのとかそういうのしか知らない人が、なんでかしらんが水の波動とか信じちゃったりねw
そういう偏ったというか偏見と無知で瞑想による心身の安定をバカにする人ってのも居たりしますけど、瞑想自体は馬鹿にする様なもんでもなく、ストレス対応の為に利用されたり、鬱等の症状がでる前に心を落ち着ける為の諸法の一つになっていたりしますが、そんなのオカルト、ただのマヤカシって一絡げにしてさせない、全否定でバカにしたり、それをする人を虐げてしまう事で、発作的な自殺なんてのを増やした、なんて話しも1990年代終わりにはありました。
つまりは、無知と誤解と偏見による差別、卑下意識が原因で心を壊された人が結構居た、なんて時代なのが90年代から2000年代の初期なんて感じでしょうか。
そもそもスピリチュアルって?
スピリチュアル自体は否定する思想じゃないですね。
物質や金なんかによる支配やストレスからの解放なんて面もありますし、差別否定的な面もあります。
元々はオリエンタリズムによる禅や行の誤解から始まったなんて言う話しも仏教やインドの修養僧やチベット、ヒマラヤ関係の神秘主義的な面から来たとも言われてます。
LSDの流行も、瞑想による幻視(幻覚ではなく意識してヴィジョンをみるとか)なんてのを都会の喧騒、忙しい(忙殺される)現代社会で得るためにヒッピーが利用し始めたなんて話しも、
そういう意味ではスピリチュアルをイカガワシイとして否定する人もいますが、本来のスピリチュアルが精神修養とより良い人生、社会の構築に礎を置いていたとなると、麻薬に頼った方が邪道なんですよね。
その辺は、大麻も同様で大麻による多幸感や開放感による精神の高みへのジャンプなんて理想を掲げるフラワーチルドレン一派や、カルトも居たってのが大麻禁止等に動く要素になっていましたそうな。
で、地の時代って?
物質が精神を支配する時代って事になってますが、この物質が精神を支配する時代ないし、社会ってのは結構昔から脱却すべき目標としてた集団は多いです。
UFOカルトもそうですし、スピリチュアルイズムに溢れるカルトやマルチ商法なんかも利用してた言説です。
この物資による精神の支配された時代とか社会の解釈の仕方を都合よくすると物質=肉体に閉じ込められた精神が、本来の力を発揮できず知ることも出来ずに老いて死んでいく社会のループで、ここに一方的な金持ちなり事業家や権力者の支配が成り立ってるなんて事になります。
70年代~80年代はこの風潮が結構強いって思って良いですよね。
なにせ、日本でも当時流行った漫画や小説、アニメをみると判ると思いますが、超能力物おおいですよね。
これは物質を超えた力ってのが信じられたあるいは語られた時代でもあたからですし、海外では「禅銃 -ゼン・ガン-」なんて小説もありました。
今は国内だと絶版のハズですが、ちょっと古本屋で見たら買ってみると良いと思います!
そんな誤解や妄想の多い「地の時代」や「物質が精神を支配する社会」て言葉ですが、正しくスピリチュアルや宗教的、思想的な面で言うのであるならば、「物質的豊かさに囚われ、正しく幸福と人生を追求できない時代」と言う事になったりします。
この考えを正しく実践しようとすると、社会の落伍者になってしまうのが欧米社会だったりしましたから、特に60年代から80年代にかけての時代にはオリエンタリズムをベースに精神の成長なんて事を目指す方々も多く、著名人でもそれをやってしまった人も居ます。
ビートルズなんかそうですが、インドに言ってある意味オカルティズムに嵌ったジョン・レノンはその後にオノ・ヨーコと既存の生活を壊す活動なんかしてますね。
専業主夫もその一つですけど、ジョンさんは不労所得あるから。
金の無い人には難しいのが精神の成長をして物質の支配を抜ける生活とも言えた訳で、心の平穏を求める下層貧民状態な庶民は麻薬や酒に走る事で一時的な高揚感と、現実の地獄を加速させるっていう状態を作ったとも言われています。
実際に物質による生活が基礎となっている中で一気に変えるにはカルト的な求心性と過激さ、攻撃性と狂信性が必要となるんですね。
人民寺院事件もその流れと言えるし、似たような事件が結構多かったのもその時代の特徴と言える感じです。
ま、日本だとオウム事件でしょうかね?
それなら風の時代って?
風の時代は、反対に精神が物質を支配する時代、と言われています。
これも、過去に色々と誤解されたり都合良い解釈と妄想があったりしましたし、超能力開発なんて言う事が普通に書籍で一杯本屋にでてたりもしました。
買った人、いますよね?いるでしょう、私も買いましたw
神秘主義とオカルト、サタニズムを取り入れたりと段々加速していくこの手の精神超常主義的な部分は、物質を捨てる事や金を放棄する事、金銭の欲求を捨てる事などで浄化され、覚醒した精神を持ち言ってしまえば現実世界を解脱できるみたいな話しになって行く訳ですね。
この結果、マルチ商法や何かを買わせて精神をどうのと言う、中世の免罪符的な宗教商売等が増えて、問題になったりしたと思います。
壺を売るとかそういう話しを耳にした人も多いと思いますし、アニメや漫画のギャグ部分で壺を売るとか、みたいなセリフがあったのを見てる人もいると思いますが、大元はこの「宗教による精神解放詐欺商法」とも言うべきもんがあったと言うわけです。
この精神を開放するってのは、すでに格差ができてしまっている世界においては実に商売がしやすい様で格差が広がる政策をする人にロビー活動をしていたなんて話しもあるとか。
日本でもこの手の話しが来るのですが欧米よりかなり遅れてやってきて、バブル期位から激しくなったなんて話しですね。
それまでの日本が満ち足りていたのか?っていうと、中国の偉い人に「日本は世界で最も成功した社会主義国」と言われる程には国民が普通に楽しく暮らせて居た訳です。
一億総中流化なんて言われる様な時代があったのは事実だし、それによる苦しい生活をする人が減った事実や、正直言うほど部落差別も人種差別もなくまた戦争に参加せずに利益がでる社会状態を維持していたのがあったとは言えるのですよ。
だから、それほど諸外国(の先進国)ほど宗教や心の充足に躍起になる必要がない社会故、資本主義で民主主義なのに社会主義国より社会主義的と皮肉を言われたと言えますが、これを突き詰めるとそれほど企業が儲からない。
自分の満足が最優先されますから、企業やメディアの売りたい物、金を出させたい物に見向きもしない様な状態が多数となってしまうのですね。
めちゃくちゃ嫌な言い方をするなら「オタク的価値観で生活する精神の満足できる社会」なんて事になります。
でも、実際今、なになにオタクと言いながらも嫌悪される事なく生きて行けている人達も居るわけで、商売と噛み合えばオタクも利用できちゃう、って所でしょうね。
この点では精神(自分の満足)が社会を優先してると言えますが、80年代からの過剰なオタクバッシング、2000年代の異常なまでのネット嫌悪なんてのはその個々の満足による商売に乗り切れなかっった人達の怨嗟、なんて解釈もできるような状態です。
とは言え、社会主義や共産主義も物質重視文明
こうなるとイデオロギー的には社会主義や共産主義が資本主義や民主主義に勝っているのかと思われてしまいますが、別にそんな事はありません。
旧来の国と言う概念、組織と言う概念を意地していること、資本主義や階級制度の名残りがある事等を考えれば物質が無いと生きていけない社会ですし金銭が必要になる社会でもあります。
ソ連は配給があったんじゃあ、と言う話しになりますけど配給はいわばベーシックインカム的なもんで、基本生活を保障するだけです。
それ以上、より以上が必要になった場合には貨幣によるやり取りが必要でソ連にもルーブルって貨幣があった訳ですからね。
そして、やっぱり階級制度が残ってしまいます。
共産主義や社会主義でもその思想ないし、哲学を理解した者が1番偉い!的な感じになり、一度それを他者より先に学んでしまえば、教える立場なのでその地域、共同体を牛耳るのは簡単なんですね。
一応、交代制はあったとも言われていましたが、その地域や共同体のリーダーの教えを1番よく理解した者が次代のリーダーなのでここで貴族と元老院的要素が発生してしまうなんて事に。
その結果、階級社会や格差社会は広がりソ連は上層部の腐敗と堕落、経済のどん詰まりやサボタージュ等での崩壊の加速、そこにアメリカの物質文明最高!!宣伝で不満が高まっていく中で、ゴルバチョフの政策がでてくるのですがまあ、遅かったよねと。
崩壊した時点で、ソ連の掲げる理想も物質文明だったのだと幻滅した理想主義者、カルト宗教のリーダー等は多くがUFOカルトに転向したと言う噂もありましたが、より過激な精神偏重主義になった者も多かったとか。
特にエリートに多かった
日本でもオウムの事件でエリートだったのがなんであんなエセ科学やエセ宗教理論に?となり、今でも海外では研究の対象になっている様ですし、今も解明されない謎って多いとか。
実際に、サリンガスを作ったりする事ができるだけの知識と情報、そして生産能力を持ち、多くの信者を抱え、麻原彰晃の異常な要求にも答える事等は、一般的な学者から見ればわからん事だらけと言うのはあったと思います。
ただ、精神的な面やスピリチュアリズム、オカルティズムや神秘主義的な事、さらには「精神が物質を支配する」の意味を曲解してなければおおよそ判るって言う人も居ます。
エリートはソ連の崩壊で絶望したんです。
なんで西側陣営で?っていうのがあると思いますが、共産主義の理想や社会主義の理念てのに夢を見てたというのが正解かもしれないですね。
彼らの理想は、資本主義形態のまま社会主義や自由主義を謳歌し、共産主義の理念よろしく貧困や病で苦しむ人が居ない世界を求めていたとも言われていましてインテリであればあるほどその様な世界を夢想した、とも。
言葉にせずとも、心の中では理想郷構築を目指しそこの支配層に収まりたかったのだと言う結論も容赦なくでてきたりするのがオウムやカルト教団の研究等で見られますし、先に上げた人民寺院だって共産主義と社会主義とキリスト教(どっちかていうと原理主義)をミックスして理想郷を作る事に専念していた訳ですから、そりゃね。
理念のいくつかが吹っ飛んだら新しい理念を求めるしそれまでの物が嘘だった事になってしまう。
だから、オウムの様なカルト、UFOを崇めるカルトなんかに入信するエリートが多かったなんて言う結論もあります。
ただ、彼らは破滅主義者になってしまっていました。
破滅主義者
ウルトラマンガイアで根源的破滅招来体なんてのが出てきましたが、破滅をもたらす何かがあるっていう概念は90年代から顕著です。
世界が終わるから生き延びないといけないと言う事に囚われていくと、世界が終わらないといけない。
予言や預言の成就を目的とした破壊をする事が第一になってしまうと言うのがあったそうで。
その多くにキリスト教におけるハルマゲドン説やマヤの暦なんかの説、おなじみノストラダムスなんてのもあったりしましたが、世界終末の預言や予言は理想を失った、理念を壊された人には最適ですよね。
世界が終われば、自分達の理想の世界が来るはずだ!ってなる。
ただそれとて彼らが過去に求めた精神が物質を支配する時代ではないわけで、自分達だけいまの豊かさ便利さを維持したまま、終末を迎えそれを乗り越えるって言う理念になってしまってる訳です。
精神が物質を支配するなら苦労も楽しいはずなんですよね。
でも、破滅を望む。
破滅をするならこれまでの支配者が滅ぶはずだから自分達の世界になると言う安易な気持ちでの破滅主義ですからすぐそこに破滅がきてくれないと困る。
アメリカで有名なのはブランチ・ダビディアンですね。
彼らはいますぐ破滅するかの様に考えが凝り固まり教会施設に武装して立てこもりますが、それは法的に☓なので警察等と交戦する結果になり、最期は大爆発で終了しました。
ある意味では破滅の予言は成就された訳ですが、世界ではなく彼らの世界と命が破滅しただけだったんですね。
それは多分、好きを大事に、大切にだな
精神が物質を支配する時代の意味って、もうこれだよなあ、と。
今までってテレビで言った、雑誌で流行っていると言ったと言うのに合わせて個性的なファッションとか自分流の生活をとか言う商法でごまかしてたなんて言う事もあると言われてますが、実際のところ80年代中頃から、わりと個性、個性と言うふうになってますがそれを紹介するのは雑誌やテレビ。
本当に個性的な人は生きづらいって感じてたんじゃないか?と話している精神科医もいましたし、自分らしさを強調されすぎて無個性が個性の人が生き難いとか起こってたとか。
我関せずのオタク界隈だって、萌商売なんて言われて取り込まれていますから、結局は金ですよ、世の中!
なんて感じだったんですけどね。
ただオタク界隈に限らず趣味人界隈ってそういう世俗の押し付け元々関係ないし、第一ファッションリーダーと言われる人は自分で雑誌やテレビに先んじてその格好してるしトレンドリーダーは流行前にそれを購入してますもんねえ。
その場合、何が大事って自分の好きが大事じゃないですか。
自分の好きを突き詰めて行って、世界中というか分かる範囲の世界中からそれを求めていく訳ですからね。
ある面、心が物質を支配してるんですよ。
どんなに高くても、何より厳しくても、どえらい苦労をしたとしても自分の好きや流儀を貫く事で、自分の好みのもの、自分のやりたいコトを手に入れる、行っているとなるとそれは所謂、物質主体の社会にとっては邪魔。
うまく取り込めたと思ったオタクだって、企業やメディアの思惑とは全く違ったコトをしてるのが実情。
実際の所この数年の流れをみてると、趣味を突き詰めた人や好きを突き詰めた人の評価が上がってるのはメディア的にも宣伝広告代理店的にも怖いだろうな、って。
アニメの話しでまた恐縮ですがirodoriのタツキ達が今も評価されているのは、やっぱり徹底して自分の好きでやっているコトなんかが大きいだろうな、と。
このコロナ禍で既存の生活ができなくなっている中で、今後ますますそういう趣味人や好事家の価値が上がっていくとなるなら、今までの商売ができなくなった人達が、過去からそういう趣味人や好事家をバッシングしてきたのは、自分達のこれまでが否定されたことへの恐怖かもしれないですね。
でも、良いんですよ。
仕事や金儲け、宣伝が大好きならそれを突き詰めて社会に還元できればそれはそれで精神が物質を支配した証ですよね?
今までは利益のために大好きを犠牲にしてたんだ、大好きが利益になると言うコトにシフトすりゃ、まあ生き延びれるでしょう。
でも、これまでバッシングした人達やバカにしてた趣味なんかにはごめんなさいしてね!
って感じですが。
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