国家の柔軟性
ワクチンメーカーの営業が、東京都の教育委員になるというニュース。
日本がワクチンを数兆円で購入したという事実がある現在、政治家がそれを消費せず無駄にした場合、アベノマスク第二弾となるだろう。支持率低下に繋がらざるを得ない。それを回避したい圧力が生み出した東京都教育委員会の人事と推察する。
2年に及ぶコロナ対策の中で実施された結果として、現時点で最も致命的な結果がワクチンの在庫であろう。官僚も、間違いを認められない。間違いを認めた場合、出世できない。今後の仕事も面白くない。生活と家族のためにも、認めることは出来ない。個人の生活を思うと官僚を責めるべきなのか?
日本は、ワクチンを廃棄出来ない。誰も方針変更できない。それに対して、国民は怒らない。洗脳したメディアはほくそ笑んでいる。
欧州の各国は、方針を変更し始めている。
現在自分は、日系企業の駐在でドイツの現地法人に勤務している。ドイツのナショナルスタッフの働き方は日本人と異なる。最も分かり易い点は、日本人と比較して、残業をしない、定期的に長期休暇をきちんと取得する。
日本人は、「ドイツの勤労者は恵まれいている」と単純に感じる。
それは事実であるが、その権利を獲得するまでに、ドイツの労働者がこれまでに時間とエネルギーを費やして経営者、国と交渉、様々な活動を積み上げ、今の権利を勝ち得たという別の事実もある。日本人はそれをせずに、恵まれていない、とただ感じるのみ。思考停止する国民。それでも、戦後は通用していた。
コロナ禍でワクチン接種に抵抗する運動は、ドイツでも激しい。毎週末デモが各都市で行われている。接種義務化を進める国に対して、その動きの抑制に繋がっていると感じる。各訴訟案件は、義務化よりの判決ではあるものの、義務化自体に疑問を感じる風潮は高まっている。
日本人も、自分たちのために日本で政治活動を開始すべき時期にあるのではないのか。いきなり街頭演説をしなくてもいい。デモに参加しなくてもよい。まずはTVの情報を疑ってみることから始める。そして、自分の頭で考えて、ネットで調べてみる。
これまでマレーシア、ドイツで生活し、仕事をする中で、中国、ASEAN、インド、中西アジア、欧州、米州、アフリカ、かなりの人種、国民とやり取りをする機会があった。ビジネスの現場で、どこにでも自立していない人間は多い。それでも、日本人には特に多いと感じる。
日本の文化、国民性は誇るべきものであると思う。ただ今の日本人の国民性は、世界で経済活動をする中で、そのまま通用するものではない。正しいと思ったら、そこから離れられない。不安から逃れたいという一心で、目の前の結論に飛びつく。そして、目の前の仕事に追われて、自分と自分以外(家族、社会、政治、文化)について興味を持つことが出来ないのではないか。
現在、経済活動は、作られた(?)環境問題、人権問題を配慮せずには進めることが出来ない。どこまで利益を追求するのか?どのようにステークホルダーを配慮するのか?そもそも自分の生産活動は、社会に貢献しているのか?正誤の判断はつかない、不安は感じる。それでも社会と世界が良くなると信じることを自分の感性に忠実に行動する。それが個々に実現できれば日本の経済的な競争力は高まってくれると信じている。それは可能だと思う。日本古来の武士道に通じているので。
参政党が、国民のためにしか活動しない政治家を生み出している。国民が気付き、既存の与野党の実態も知り、参政党に興味を持ち、支持してくれることを祈りたい。
今現在、日本の将来の理想の姿を明確に提示することは、誰にも難しいかもしれない。国民がそれを期待せず、自分を信じて、自分以外も信じて、何かあれば都度修正するという柔軟性があれば、今どの様に進んでも日本に間違いはないと思う。