【洋楽雑考#4】 時代は再びフィーバーするか?〜ディスコ・ サウンドに思う
皆元気? 洋楽聴いてる?
世はディスコ・ムーヴメント再燃で持ちきりの予感というウワサだ...(あくまで弱腰)。
思えば、映画「Saturday Night Fever」日本公開から今年で40年。少々時代はズレるが荻野目洋子さんがシングル「ダンシング・ヒーロー」で再ブレイク(1985年リリース:記憶している人の方が少ないだろうけど、一応元曲はイギリス人女性シンガー、アンジー・ゴールド)、"バブル景気復活か...?"などという世間の声に合わせるように、"クラブ・ミュージック"ではなく、あくまで"ディスコ・ミュージック"の復権が取りざたされている。
当時を知るおっさんたちが、若い女性に"今夜フィーバー(ヴァーじゃなくて、バーな)する?"などと世迷言を言える時代は再び到来するのか...?
フランス語 'discothèque'(レコード棚/コレクション)を語源とするディスコ。音楽的にはモータウン・ミュージックを中心とするソウルなどから派生/発展したものであり、その後ディスコの二大聖地へと成長するフィラデルフィア、ニューヨークでは、それぞれが独自の文化を形成して行く。
前者においては、ブラック系を中心としつつも、イタリアン、ラティーノといった人種/文化的多様性を持つ若者たちが、会場を借りきる形でパーティを行い、後者では現在のクラブの原型とでも呼ぶべき常設の会場が登場する。
中でもデヴィッド・マンキューソが立ち上げた会員制クラブthe Loftは、当時他のクラブでは遊ぶことのできない(警官にイジめられたり、襲われるから)ゲイの人々の絶大な信頼を受ける。
余談になるがアメリカのケーブルTV局HBOが製作したドラマ"Vinyl"で、当時のNYクラブ・シーンの成り立ちから、ディスコ・ミュージック人気獲得までの様子を垣間見ることができる。
1970年代中期から徐々に活気を帯びて行く ディスコ・シーンだが、1973年リリースのバリー・ホワイト率いるLove Unlimited Orchestraの「Love's Theme」、ヴァン・マッコイの「The Hustle」(1975年)の2曲がその先駆けとなったと言われている。
どちらもBillboard Top 100で1位を記録した名曲だが、まだまだどこか牧歌的とでも言うべきか。どっちも基本インストだし。
同年1975年に一大転機を迎えたのが、ドナ・サマー。シングル「Love to Love You Baby」は当初シングル・リリースの予定がなかったにもかかわらず、イタリア人プロデューサー、ジョルジオ・モロダーの地道なディスコ・プロモーションにより大ヒットに。
ここで注目すべきは12インチ・シングルの登場である。収録時間を大幅に増やすことのできるこのアイテムの登場はDJたちに衝撃かつ、朗報だったはず。しかし、7インチと同じ45回転の12インチを誤って33回転でかけてしまい、フロアに響く歌声が'千の風になって'みたいになってしまったDJたちも当時絶対にいたはず...
そして、シーンの動きを突如トップ・ギアに入れる出来事が。そう、1977年の映画「Saturday Night Fever」の公開である。
ジョン・バダム監督、ジョン・トラヴォルタ主演のこの作品によって、ディスコ・ムーヴメントは世界中を巻き込む巨大なものへと突進して行く。
同年末にリリースされたThe Bee Geesの「Stayin' Alive」を皮切りとして、翌1978年はディスコ・ミュージックがシーンを席巻。ささっと同年のリリースを振り返ってみよう。
同グループの「Night Fever」(2月リリース)を皮切りとして、ゲイ・カルチャーへの全面支持を打ち出し、「Macho Man」(2月)よろしく、ステージ衣装などにマッチョ・イメージを大々的に展開させたThe Village Peopleが登場。
西城秀樹さんの日本語カヴァーはもちろん、現在も某携帯電話のCMでお馴染み「Y.M.C.A.」リリース(11月)で、当時の日本におけるディスコ・ムーヴメント定着への貢献度は非常に高い。
また、前述のジョルジオ・モロダー同様、その後プロデューサーとして大成功を収めるナイル・ロジャース率いるChicの「Le Freak」も同年9月のリリース。
できればタイトルとの同月リリースでとどめを刺したかったEarth,Wind and Fireの「September」は少々遅れて同年11月の発表。
また、女性アーティストも大ヒットを連発。グロリア・ゲイナーの「I Will Survive」(10月)は女性の強さをテーマにしているのに、ゲイ・コミュニテイにおけるアンセムの役目を果たす。
ディスコ・クイーンの座を完全に手中に収めたドナ・サマーは「MacArthur Park」(9月)でグラミー賞最優秀女性ヴォーカル・パフォーマンスにノミネート。
グラミー賞絡みで言うと、「Boogie Oogie Oogie 」(6月)で一気にスターダムへと上り詰め、1979年の新人賞を受賞したA Taste of Honey も印象深い。
この頃には後のユーロ・ビートの原型とでも呼ぶことの出来る"ユーロ・ディスコ"も盛況となり、ドイツ出身で、最初に日本で人気に火が点いたアラベスクの「Hello Mr. Monkey」(本国のリリースは1977年だが、1978年6月末からオリコン誌上で3週1位を記録)や、無機質なビートが斬新だったイギリス出身のMの「Pop Muzik 」は大きな話題となった。
ディスコ・ミュージックの最大の功績と言えば、いわゆる'別ジャンル'のアーティストが大挙して参入することで、その後の音楽シーンの趨勢に多大な影響を与えた点であろう。
ロッド・スチュアートの「Da Ya Think I'm Sexy」(1978年)は、ソロ・アーティストとしての彼の匂い立つような魅力を発揮する道具に、The Rolling Stones は、「Miss You」(1978年)、「Emotional Rescue 」(1980年)でマンネリズムからの脱脚を図り、Queen は「Another One Bites the Dust」(1980年)で音楽性は勿論、シンガーのフレディ・マーキュリーのVillage Peopleばりのイメージ・チェンジで大きな驚きを与えた(実際、フレディはゲイだったのだが...)。
現在にいたるまで、'ディスコ'というターム自体は影に隠れてしまっているが、当時日本のCMでも使用されたMC Hammer の「U Can't Touch This」(1990年)のオリジナルは下記のPlaylistにも挙げたリック・ジェイムスが1981年にリリースした「Super Freak」だったりする。
"サンプリング"という概念が最初に意識されたのがこの時期なのかもしれないね。1993年にPet Shop Boys がカヴァーした「Go West」のオリジナルはVillage People(1979年)。
良い曲は時代を超えて愛されるワケだ。
オレ個人としてはマイケル・ジャクソンの「Off the Wall」アルバム(1979年8月)がディスコ・ムーヴメントの最後を飾るアルバムだったと思う。
残念なことに、同年前月には、通称"Disco Demolition Night"(ディスコ大破壊の夜)なるバカなイベントが開催され、暴動にまで発展してしまった。
シカゴの地元FM局と野球チーム、ホワイト・ソックス球団幹部による画策で、試合当日に嫌いなディスコ・アルバムをスタジアムに持ち込めば、入場料は割引、その上、2試合連続で行われる予定だった試合の合間に、持ち込まれたアナログ盤を爆破するという、考えただけでバカ満載の催し物だったのだが、案の定、球場には予定をはるかに上回る群衆が集まってしまい、最終的には警察が出動する事態に...良く地元警察は事前にイベントを許可したよな。
ここまでディスコ・カルチャーがアメリカの注目を浴びたのは、1960年代への強い不信感があったからに他ならない。
ベトナム戦争の泥沼化、そして当時のニクソン政権を追い落とした"ウォーターゲート事件"など、世間を覆う空気は閉塞感と絶望に満ちていた。
そこに現れた、ある意味お気楽で、浮世離れした雰囲気に若者が熱狂したのも無理はなかったのかも知れない。
とかくその短命さゆえ、'池の水全部抜いた
ら、柳の下でドジョウが大量死していた'ような印象を与えがちなディスコ・ムーヴメントだが、実はその短かった寿命も、今のダンス・ミュージックを形成するに至るまでの必然だったのかも。
では、また次回に!
※本コラムは、2018年2月1日の記事を転載しております。
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▼フジパシフィックミュージックでも連載中▼
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