【洋楽雑考#3】 Scorpions バラードの活用法 〜ご長寿の秘訣
皆元気? 洋楽聴いてる?
オレ、Jidori。
今回のお題はドイツが誇るハード・ロック・バンドScorpions !!
昨年11月にバラード・ベスト・アルバム「Born to Touch Your Feelings ~ Best of Rock Ballads」をリリースしたばかりの彼ら。
ハード・ロック・バンドとしては勿論のこと、稀代のバラード・メイカーとしても知られる彼らの魅力がたっぷりと堪能できる作品に仕上がった。
既存の楽曲の再レコーディング、更には新曲まで。いつ聴いても温泉並みの沁み渡り...
結成は1965年...Rolling Stones に遅れる事わずか3年というだけで頭が下がる。
当時のドイツ(当然東西分断の真っ只中)のロック・シーンというと、1969年にデビューしたCan に代表される、いわゆるサイケデリック色の強いものを連想させるが、同時期には、ずっと後のエレクトロ・ミュージックのプロトタイプとも言えるKraftwerkらも活動を始めており、Krautrockと総称されていた。イギリス人ジャーナリスト、ジョン・ピールが考案したこのKrautrockなる造語、Kraut はドイツ人の国民食であるキャベツの漬物のことで、半ば蔑称として使われていたのだが、「ドイツ人の誇り」という意味合いを次第に含むようになる。
Scorpionsがファースト・アルバム「Lonesome Crow」をリリースしたのは1972年、時代性を感じさせるサイケデリックな要素こそあれ、ハード・ロック色を押し出したそのスタイルは、明らかに他のバンド群とは異なる個性を持っていた。
2人のリーダー的存在、今もバンドを牽引するルドルフ・シェンカー(RG)、クラウス・マイネ(Vo)を中心とする彼らの最初の転機はセカンド「Fly to the Rainbow」のリリースだろう。
デビュー作のみでバンドを去ったルドルフの実弟マイケルに代わり、リード・ギター・プレイヤーとしてウリ・ジョン・ロートが加入。
ジミ・ヘンドリクスに憧れながら、クラシック音楽にも大きな影響を受けたウリのギターを全面にフィーチャーしたその叙情的かつドラマティックなスタイルはバンドに大きな変革をもたらした。
「In Trance」、「Virgin Killer」、「Taken by Force」といった当時の作品群は、もう"泣きのメロディの洪水"、"アルバム全編がパワー・バラード"と言っても差し支えない。そんな彼らに訪れた千載一遇のチャンス、それが1978年に開催されたバンド初のジャパン・ツアーである。
今でも語り継がれる実に美しいエピソードだが、ツアー前に彼らは日本のファンクラブの方々と連絡を取り(メールとかない時代だよ...)、日本の伝統楽曲を送ってもらい、それをステージで披露した。「Tokyo Tapes」とタイトリングされた日本公演を収録したライヴ・アルバムには、瀧廉太郎作曲の「荒城の月」が収録されている(2015年に発表された同作品のデラックス・エディション版には何と「君が代」も追加収録)。
しかし、念願のアメリカ進出を目論むバンドに大きな問題が持ち上がる。タイトでコンパクトな楽曲をきっかけにアメリカのラジオを攻略すべく次作の制作を進めるバンドの方向性にウリは反目、脱退を余儀なくされてしまう。
新しいギター・プレイヤーとしてマティアス・ヤプスを補充し、ニュー・アルバムのレコーディングを進めながら、なぜかバンドは脱退していたはずのマイケルをバンドに呼び戻す。完成したニュー・アルバム「Lovedrive」は非常に充実した作風でありながら、リード・プレイヤーが2名混在する不可思議な仕上がりとなった。
また、同時期に持ち上がったのが、クラウスの喉の問題。
長年酷使し過ぎたため、その声帯は再起を危ぶまれるほどの状態になっていた。 しかし、クラウスの喉は手術により完治、マイケルはソロ活動を開始し、ようやくバンドは万全の態勢で活動を再開する。
折からのMTVムーヴメントの勃興、そして、LAで突如巻き起こったヘヴィ・メタル・ムーヴメントの波にも後押しされて、1982年発表の「Blackout」は全世界で大ヒットを記録。
彼らにとって初のオフィシャルPV「No One Like You 」はここ日本でも大々的にOAされたが、この時期の彼らにとってのバラードは、"キレのあるロック・アルバムの中に一輪光る花"とでも呼ぶべき存在に変化している。
続く「Love at First Sting」もメガ・ヒット。本作からは「Still Loving You」がセカンド・シングルとしてカットされたが、今も常套手段として使用されるラジオ・ネットワーク対策、ファースト・シングルはガツンとしたロック・ナンバーを披露し、その後美しいメロディを全面に据えた楽曲を送り込むという手法がこの時期に完成したと言って良いかもしれない。
この時期を彼らの絶頂期とするのは間違いではないはずだ。
ドイツを代表するのみならず、世界的なバンドへと成長を遂げた彼らにとって、バラードという観点からの最大のトピックといえば、やはり1989年リリースの「Wind of Change」(「Crazy World」収録)だろう。
東西冷戦終結を記念したこの楽曲は世界中でヒットを記録、バンド最大の成功を収めた楽曲となったのみならず、ドイツ出身のバンドとして最高のセールスを記録した。
その後は、オーケストラとの共演(2000年)、アコースティック・アルバム(2001年)など、よりメロウな方向性へと舵をとるが、"バラードはもろ刃の剣"とでも言うべきか、当時の彼らが若干の疲弊を見せていたように感じるのは否めない。
あくまでも、"バラードはバンドにとってのユンケル黄帝液"...過剰な使用は自らの首を絞めることに。 それを実証するかのような事象として、1990年代にメタル・バンドのバラードがチャートを賑わせていたのだが、その後、それらのバンドたちは"バラード・メタル"と揶揄され、シーンからことごとく姿を消した。
あくまでもバランスを取った上でのバラード戦略、それを忘れたバンドには未来が開けなかったワケだ。
2010年のアルバム「Sting in the Tail 」リリース後には解散宣言までしていたのだが、その後も彼らは活動を継続している。
そして、2016年には久々の来日公演(Loud Park 2016)が実現、圧倒的なパフォーマンスで並み居る若手たちを退けた。
彼らの圧倒的なメロディ・センスにはドイツ人というアイデンティティが大きく関係していると 思うんだけど、それが我々日本人の琴線に触れること、彼らの最初のインターナショナルな成功に日本が寄与したこと、それこそが音楽の持つ何よりのマジックなのではないか、などと彼らの歴史を見ながら改めて思う寒い朝である。
しかし、どなたか存じ上げないのだが、70年代の彼らに"蠍団"って付けた業界の先輩って、天才だよな。
KISS に"口づけ隊"とか付けたら、末代まで祟られるよ。
では、また次回に!
※本コラムは、2018年1月16日の記事を転載しております。
■愛のために生きて~バラード・ベスト
2017.11.22 発売
¥2,400 + Tax SICP-5645
■スコーピオンズ オフィシャルサイト
■スコーピオンズ(ソニーミュージック オフィシャルサイト)
▼Spotifyプレイリスト▼
コラムをもっと楽しんでもらえるよう、JIDORI自ら選曲をしたプレイリストだ!このプレイリストを聴くだけで君も洋楽フリーク!(?)
▼フジパシフィックミュージックでも連載中▼
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?