noteのちから
noteを書くようになって、酒の量が減ったように思う。
毎日毎日、
自分のルーツの何かを振り返ることで、
「今日は、いつの自分を振り返ろうか」
「今日は、どんな自分を表現しようか」
そう思っていると、
日々のいろいろを、アルコールで流す必要があまりなくなってきた。
もちろん、酒好きには変わりないから、少量は飲むのだけれど。
明らかに、トータルの量が変わってきた。
これが、noteのちからか。
こんなに昔の自分を振り返ることなんて、そうそうないから、
(おいおい、これ、走馬灯じゃないよな?)
と、ツッコミを入れたくなるくらい。
1年前、かつての自分の集大成かのような試験を受けたら、その当時の記憶までありありと浮かんできて、とても苦しい思いをした。
だから、noteを始めたときも、
もしかしたら、
そういう苦しさと向き合うんじゃないかと思っていた。
でも、noteは、
強制的に過去を記すツールではないし、
自分のその時の想いに沿って表現できる分、
自由度が高い。
だからこそ、
表現したいときは、ダークな自分を、
思い出したいときは、懐かしい日々を、
心ゆくまで味わえるのかもしれない。
なんと、豊かなツールか。
日記でもない、ブログでもない。
これは、noteなのだ。
そして、
このnoteが、わたしがいなくなっても残るとしたら。
誰かがいつか、わたしの軌跡に触れ、時に何かを感じ、過ぎ去っていく。
そんな風に、自分の何かが残るのも、そう悪いことではないなと思う。
なにはともあれ。
noteとわたしのいのちが、これからも続いていきますように。