「ある友の叫び」
自分がしていることが、どういう意味を持つのかを、想像できないのだから、仕方がない。
もう、諦めるしかないのだと思う。
ハイリスク者が、感染者の世話をしているという事実。
それに対して、自分が世話をするよとは、名乗り出ないという事実。
ご飯を運ぶだけのことを、しようともしない事実。
妻がハイリスク者であると知っていながら、私が世話をしているのを何もせずに傍観しているという事実。
当然、あちらの言い分もあるだろう。
家事もしている。
仕事もしている。
これ以上、どうしろと?
と。
そうじゃないのだ。
肝心なところが、わかっていないのだ。
くじけそうになりながらも、言葉で伝える日々。
もう嫌なのだ。
面倒なのだ。
言わなくても通じるということが、夢に過ぎないと日々感じるのだ。
そんな毎日が、もう嫌なのだ。
察して欲しかった。
私にとって大事なところが、まったく気づけない貴方よ。
あの頃感じた魅力は、いったいなんだったのか。
幻想だったのか。
父と遠い人を選んだつもりが、思いもかけぬ鈍感力よ。
それで繊細なフリをしてくれるな。
私が思ったことを言えば、傷つき、
私の心の叫びは、苦情としかとらえられない貴方よ。
私にとって、本当に大事なことに、ことごとく気づかない貴方よ!
…私は、諦めるしかないのか。
以前のように、わかって欲しいと、思わなくなった。
他人のように、話が通じれば、その程度で満足するようになった。
それを「満足」と言うのかはわからないが、なんだか、それでよくなった。
どうでもよくなった。
そうやって。
一線をひいてみると、どうだ。
なにもかもが、「別にどうでもいいこと」になるではないか。
私が求めることを、相手に求めなくなるだけで。
それ以外のことには、不満がないことに気づく。
だが。
だが、だ。
この虚しさは、なんだろう。
この諦めは、なんだろう。
こんなことでいいのか。
こんな毎日でいいのか。
こんな相手でいいのか。
自問自答しつつも、私は、私以外の者を想うと、
「もう、これでいいや」
と、思ってしまう。
明日もまた、朝が来る。