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【考察】放送法の解釈変更。何が本質的な問題か?

 いま世間では、放送法の解釈変更に関して、その経緯を記した総務省の内部文章が話題となっています。

 とくに高市早苗氏が、その文章が捏造だったら議員辞職すると言い、その後文章の記載内容が捏造だったら議員辞職するにトーンダウンしたため、同氏が議員辞職するかしないかで国会で論争が行われているようです。

 詳細な経緯はニュースなどで報じられている通りかと思われますが、この問題の本質的な懸念事項とはどのようなものか、自分なりに考えてみました。

政権側が民放の放送内容に関して疑問を持つ

 ことの発端は、当時の磯崎首相補佐官付が、TBSのサンデーモーニングに対し、過度に政権に批判的との認識を抱き、そこから番組の政治的公平性に関しての議論が始まったようです。そして最終的に、極端に政治的公平性に欠ける場合、一つの番組でも政治的偏りがあると判断された場合、それにより停波命令を受ける可能性があるという解釈に変更されたようです。

 政権側は常に、当たり前ですが世論の動向を気にしています。世論形成に強い影響を持っているマスコミに対し、自分たちに好意的な放送をしてほしいと思うのは当然でしょう。問題は、政治的公平性というお題目を盾に、ときには停波命令をもチラつかせながら、マスコミを意図的に萎縮させ、政権に有利な放送をするように誘導したのではないかという点です。仮にそこまでの意図はなかったとしても、結果としてマスコミが萎縮すれば、政権側としては望ましい結果ということになります。

マスコミや国民を自発的に萎縮させるやり方

 このような手法は決して珍しいものではありません。例えば、2019年に制定された香港国家安全維持法でも、国家に害する行為はあえて曖昧な条文とされ、香港市民や報道関係者を萎縮させる効果を狙いました。

 そして国安法施行後、同法違反という理由で、立場新聞や蘋果日報(リンゴ日報)など民主派のメディアが次々と停波、営業停止となりました。

 権力者はこのように、市民やマスコミを萎縮させ、政権の意に反するようなことをなるべく言わないように、報じないようにさせようとする力が働くのです。

 とくに安倍政権は、長期政権の弊害でしょうか?こういった傾向が強かったように思われます。

 世界の国々の中では、中国のような独裁政治を行っている国は実は少数です。ほとんどが、民主主義という皮を被って内実が権威主義国家となっている国が多数なのです。例としては、ロシアやトルコ、ハンガリーやカンボジアなどが挙げられます。とくに今例示した国は、当初は今より遥かに民主的だった国が、権威主義国家となっていった国々です。(ナチスドイツが当時世界で一番民主的と言われていたワイマール共和国から生まれたことも、忘れてはいけません。)

 日本は安倍政権のもと、すでに報道の自由が先進国中最低レベルと評価されています。「報道の自由ランキング」では、日本は180カ国中71位と、アフリカのモーリシャスやケニアよりも低い有様です。

民主主義は、与えられるものではない。

 安倍政権は、本人たちはそう思っていなかったかもしれませんが、確実に日本を中国やカンボジアのような国にしようとしてきました。

 これはアメリカのオバマ元大統領もよく言っていることですが、そもそも民主主義は、与えられるものではありません。私たちが絶え間ない努力で守り、大切に育てていかなければならないものなのです。日本のように強力で、強大な与党が長年権力の座にある国は、政権交代が根付いている国と比べ相対的に民主主義が脆くなります。「言いたいことを自由に言える」。当たり前なはずの普遍的な価値観を守り抜くため、私たちは常に権力者たちに目を光らせていなければならないと思っています。そのための報道の自由は極めて重要なことであり、今回の問題の根は、国の根幹に関わることでもあると思っています。


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