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じぶん心理學 書き方篇


おはようございます

2020年7月24日 金曜日 晴れ

今日はじぶん心理學の 書き方篇です

その前に今日の朝配達中に撮った写真と感じた文章を載せて起きます

画像1

↑小學校での一枚 きれいなピンク色をしてました

画像2

↑新潟県加茂市の加茂川での一枚 朝焼けがきれいでした

今日の配達でおもったこと。

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早朝の
夏の虫の鳴くシチュエーションで
誰かと分かち合いたくなる空に出会う。
ぼくらは自然と、誰かと何かを、
分かち合いたくなる生き物なんだろうね。
日々の生活の毎日の繰り返しが
スペシャルだと思えたら
きっと毎日は輝いて見える
眼にも心地良い時間を過ごすこと
分かち合いたくなるほど綺麗な景色を見ながら
ゆっくり飲むコーヒー☕️とか 
ぼくらは ふとした きっかけで
緩やかな時間が心に流れるものだね 
写真だけじゃ傳わらないかもだけど
誰かにとってのそういう時間が
その誰かの心地いい時間になってて
その誰かが味わい尽くしてまた何かをし始めて
それがまた誰かにリレーしていくんだろう
この世界の 余裕の循環を思う。 
心地いい時間には、何かのきっかけと余裕を
生み出す力があると新たに思えたのであった
朝とは、良きものだね
特に早朝の空氣はさ。

朝のfacebookより転載

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前回じぶん心理學についてちょろっと語ったのだけれど

要するにじぶんの こころ をソースにして

じぶんのこころの日々を記録しましょうって話なんです


それが自分を知ったり、自分を把握するのに役に立つからです。



ポイントは できるだけそのままを、書くこと。

等身大の記録を書いていきます。

ほんといろいろなやり方があっていいと思います。

じぶん心理學はひとそれぞれだからこそ面白いのです。


一つ方法を上げるとしたら



もし仮に今何かに悩んでいるとしたら


1、まず悩みをすべて書きだす

2、その登場人物を書き出す

3、こうでありたい そうなったらいい目標を書きだす

4、それにむけてできることをひたすら書きだす 

5、そのできることを分類する 

今すぐできること 

あとでできること 

じぶんではできないことに分けてみる

6、×自分ではできないことと △あとでできることは捨てて 

○今できることだけを残し それを一個一個やる

○△×でリストにしたやつに印をつけてもいいですね。

みたいに書いてもいいです


これは一つのワーク形式ですが

視界がクリアになってとてもいいとおもいますので

基本的にやり方は自由なのですが

採用されてみてもいいかと思います


じぶん心理學というノートを創ってもいいかと思います。

じぶん の部分を あなたの名前 にしてもいいです。

こころを記録できればそれでいいのですから好きにしましょう。



もちろん

詩でもいいです

ポエジーな氣分で書いてみるのもあり



短い3、4行の詩でもいいんです



例えば






白い紙に

白い鉛筆で

君のこと すき って

書いた






こんな感じでもよいのです


自分のこころの風景ならばそれがソースならば

なんだって素敵です

その詩に写真を添えてもいいですね



人はじぶんの心と話していると

ポエジーな氣持ちになるときがあるはず

すくなくともぼくはそうなのです


表現はほんとひとそれぞれだけど

画像3



やるんです。

表現するのです。




なぜか画像にしてみましたw

こういう風に言葉を画像にするのも大好きで

たまにこうやって訳もなく画像を出しますw


広告とかのコピーの世界が好きなのもあります。


でもなー  押し付けたいわけではなくてね

こころが自然と湧き出たままに生きるってのをやるといいと思う

毎日の日課にするのもありだけど

別にそうじゃなくてもいい


ほんとじゆうに表現してほしいなぁと思ってます。


例えばこんな日もあるわけです。


いい影響力とは何かを考える一日があったとして

それは誰かから 感謝されること だと答えが行き着いたとして


なぜ日々投稿をするのか?ってことを考えてみたりする日があってもいいです


人にとっては日ごろの信用を積み上げるため とか
投稿することで人との関わりが楽しい とか
自分が好きなことに共感する人と仲良くなりたい とか
仲良く出来る人を探している とか


いろいろでてくるでしょう。


そして それは なぜか?形式でじぶんにどんどん聴いていくのです。

 

なぜそれをやっているの?


人に影響力を与えたいから

それはなぜ?

感謝されたいから

それはなぜか?

自己効力感が欲しいから

それはなぜか?

人との間でしか自己効力感を感じられないから

なんで自己効力感を感じたいのか?

自分自身の意味や価値を日々確認していたいから

なんで意味や価値を確認したいのか?

生きてるだけでいいと思えないから

なんで生きてるだけでいいと思えないのか?

誰かのために生きていなきゃ心からの喜びを感じられないから

ということは 喜びを感じるために 日々の投稿をじぶんはしているのだな

ということがわかります


もっと掘り下げていくと両親との関係性(特に母親との関係性)

周囲の人との関係性まで發見(はっけん)できることでしょう。



という風になぜ?と問いかけていくと自己理解に繋がるわけです。

それが 「じぶん心理學」 です。


その記録を書いておくのです。


晒したくない場合はそのままでいいのですが

晒すことによって人からの共感を得られやすいはずです。


例えば

昨日のぼくはこんなふてくされたことを考えていました。w


人氣者になりたいけど人氣者になれないよ!!どうしよう!!!

ってwww


人に何かしらの価値を与えていないと

価値がない無駄な存在だと自分を思ってましたw


生きてても無駄だと思うぐらい

(まじで?w昨日のおれネガティブだなw)

価値がないと生きててもしょうがない無駄だと思ったり
だからじぶんに価値をもたそうと思って人に影響力を与えたいという氣持ちが芽生えだした

多くの人から好かれないと生きててもしょうがないと思っている


けど実際は多くの人から好かれていないから

生きててもしょうがないと今現在思い込んじゃってる

自己効力感が低い傾向にある。おそらく自己肯定感も低いだろう。


でもよく考えてみると多くの人に好かれましたという結果が起こったら


メリットばかりじゃ無い。


潜在意識では 多くに人から好かれたいなんて思ってなどいなくて

思考では多くの人から好かれたいと思っているけど 

そうじゃないと価値がないと思っているけど

実際はそのデメリットのほうが嫌で仕方ないはずで

だから人氣に成ることはないという現実が起こっている

それを潜在意識が望んでいるからね



これって興味深いと思いませんか?

人氣者になりたいと頭では思っているのに実際はそうはならない

もちろんそのためにすべき努力もあるのだろうけれど

そういう現実があるということは

それは潜在意識がそうさせているということで、

人氣者になることのデメリットのほうが

じぶんにとってはでかいということでもある。



潜在意識をとり扱うコーチもしている

ぼくの彼女にこのことを話したらこういわれました。



例えば

100の人氣がほしいなら

100の誹謗中傷をも覚悟してないと

そうはなれないものだよ。といわれました。



何かを得るには光の側面だけということにはどうしても行かないみたいです。



その覚悟がないから人氣がでないんだと思うし

人氣者になることが現実で起こらないのだとしたら

人氣者になることを潜在意識では望んでいないんだと思う。

とのことでした。



うーん。深い。

潜在意識はシンプルでほんとに望んでいることを叶えてくれているみたいです。

現実は自分で創っている。という基本が潜在意識関係の世界では基本としてある。


もっと掘り下げていくと



何かの形で人氣者として扱われたいそれがあれば生きてるだけでいいって思えるから

それはなんで?


生きてるだけで嬉しいと思えるようになるから

そのために人に対して影響力を持ちたい


生きてるだけでいいって思えないのは人氣者になりたいけどなれてないから

なんで潜在意識は人氣者にならないようにブレーキかけているのか

実は無意識では人の目が嫌だから 無意識では人の目が怖いから
潜在意識ではみないでくれみないでくれが叶ってる 

それが現実と一致してるから

人氣者になりたいけど人の目が嫌だ
本当の本当の本当は人の目が大嫌いだ

だとしたらこの段階でできることは


人の目が嫌だということを100%受け入れること

これしかないわけです


なんで人の目が嫌なのか?

バカにされるから 辱められるから
噂話されるから 恥部をみんなに広められた経験があるから

トラウマだね

それがあるからもう何もみないでくれっていう潜在意識になってしまう

その仕組みを理解したとき

人氣がないと人としてダメじゃん(そんなことはないよw)って思ってたけど
ほんとの自分自身ではそれを望んでなかったんだということがわかった

じぶんをさげすんだようにみてくる人の目が実はすごく嫌だったっていうことがふに落ちるかどうか

実は潜在意識の望み通りの現実だったんだなぁってところに

自己認識を一致するだけでいいということ。

それからしか現実は変わっていかないのだということ。

潜在意識で人に対してじぶんをみないでくれって思っているから


人の目に触れないように無意識でしてきたし 

みんながこぞって関わってくれなかったという現実が起こっていた


本当はみられるのが嫌なのに自己開示しすぎていたのかもしれないし
本当は自己開示が大事だからってめっちゃ自己開示しちゃってたけど

本当はそんなことしたくなくてそんなことほんとは嫌だったんだなぁって自分の心を認めてあげること


本当は見られたくなかった
本当は嫌だった
本当は嫌だったのに頑張って嫌な自分を麻痺させてきてた 

嫌じゃないふりしてきたけど
本当は嫌だった


という表現者らしからぬところに 昨日 行き着いてしまったのねwwww

けどこれをまた表現しているという矛盾ねwww


なんだよおまえwwwということになるwwww



そして彼女はこんなことを言ってくれた。



もし仮に人氣者になった場合ね


誹謗中傷を言われた時にそれをどう捉えたらいいのかを考えるといいよといってくれた。

というのも


何かを言ってくる相手というのはその人の中に私を通して何か映るものがあり
それについていろいろ言うのであって

私に対して言ってくるものではないということ
その人の中の問題がわたしを通して浮上してくるのであって

それは私の問題ではないということ
私の中に何か嫌な何かを見つけて氣になるのだとしたら
それはあなたの中にあるあなたの問題が氣になっているのだと言うことになるということ


誰かに何かを物申す時は大抵じぶんの中にそれと等しい何かが
あるからだと言うことになるし
それ以前に誰かに何かを言ってくる時点で まだまだな 人だと言うことなるのだよ本人がそのことに自覚してないだけと言う場合がほとんどであり要するに未熟な魂なのだということを自ら露呈しているということになる。


ということだった。

なるほどだぜw

人は鏡だからね。 

そして誰かの惡口をいう人はじぶんの人生を惡くするだけだという法則的事実ね。

したことはすべてじぶんにかえってくる 

これは例外なく恐ろしくもある宇宙の法則のひとつだ。


妬み 嫉妬 恨み を買うレベルのステージもおそらくあるのだろう

そんなもの蹴散らして跳ね返す覇氣を放つレベルのステージもあるのだろう


それでも人氣者になりたいの?

人氣者になって人に何かしらの影響力を与えたいのはなぜ?


そこにいるだけでいいという状態が

嬉しいはずだしそういう状態が欲しいから 

人から常に必要とされていたいから


でも妬まれたり嫉妬されたりするのとかすげーめんどうだしw

実際されてきたことあるからわかるまじで超めんどくせいw

だから本心ではそれを望んでいないんだよね

そうなれるかどうかもわからないし


ということなのだ。


じぶんを実例にあげたけどこれもれっきとした

じぶんのこころの歴史なのだ

じぶんのこころの記録になっている


上に上げたのは昨日のじぶんだけど


客観的にみてみると矛盾が多いし 腑に落ちる部分が多い

そして思考も誰かに思わされているんだということがわかる

別に人氣者じゃなくてもええやん

自分の周りの人たちに確かな価値を届けられていたらそれでいいやん

セレンディピティ的にシンクロ的に見えないところで見えない誰かに

なんかしらの影響があるならそれでいいんじゃないか?

たまにその反応をもらえるだけでいいんじゃないか?

とかね


自分の潜在意識がほんとうに求めていることだけで正解なんだ

誰かに正解を教え込まれることはないしこうであるべきというものもない

人氣などなくても表現をしたいという氣持ちはとめられないそれがこころの事実なのだ

だとしたらそれでいい。

表現をやめることは一生できないだろう。

じぶん心理學をつくったのはほかでもないじぶんに対して

素直に表現できる場所とこころの

安心基地を作ってあげたかったからかもしれない

そしてその成長記録をつけておきたかったからだ


人に対してどうしたいとかどうでもいいのかもしれないwwww

人に対して何かいい影響を与えたいとかどうでもいいやwwwww

じぶんがすきだから書いてる

それでいいやw

というか

それがいちばんだなと思う

人氣とかもどうでもいいし

見てくれる人がいるのは嬉しいけど 別にそれもどうでもいいんだと思う

ただじぶんの表現をしてそれを記録できてればそれでいいんだと思う。

見てる人のことなどこれっぽっちも考えていなくたってそれでいいんだと思う。

それで成立するんだと思う。

というかそんなことよりも


どれだけ本当のことを書けるか

どれだけ本当の部分を書けるか

どれだけ本当の部分を引き出せるのか


これしかないのだと思う。


それはつまりどれだけ本音で生きていけるのかということなのだと思う


それしかない

他者などかまってられないというか

おのれの

ほんとうを搾り出すだけで精一杯だ


ということなのだろうね

 

じぶん心理學は

どれだけほんねを、

己の本当を、

搾り出せるかということなんだと思う


形などどうでもいいのだ

とにかくほんとうだけをだしつづけろ

これに尽きるのだろう


じぶんの事実をさらすことは恥ずかしさを伴うかもしれない

けれどそこから共感も生まれることはたしかだ

すべて観音開き的に出さなくてもいいから

小出しにしたり 大胆にだしたり そのバランスなのだろうな


まぁ基本的に素直で正直ならそれでいい氣がする

じぶんにうそがなくて誠実ならそれでいいのだ


それを日々書いていけばいいのだとおもう

どんな形になっても。


それがじぶん心理學なのだとおもう。

画像4

じぶんのほんねをだせば

その形がわかる

望むものもわかる

目的地が見えてくる


今何をしたらいいのかを把握できる

好きに書いてみよう

自分のペースで


次回は何を書くのか未定です。

よければ

フォローしてってください

スキをしてくださる方とても嬉しいです。

こっそり覗きにうかがいますよ!

それではまた!!!

画像5

ほんとにまじでひとつだけでいい

やってみよう

最近こればかり聞いてますお

sound forestさんのBGMすきすぐる

のぞいてらして

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