力はどこにある?
パワハラやモラハラをされ続けると傷つき、疲弊し、消耗し、やがて生きる気力さえ失われていくこともあるでしょう。
言葉や暴力で他人をコントロールする人が脅威に感じられ、自分は無力だと嘆き、悲しみが襲って来ます。
やめてと言ってもやめてくれない
嫌だと言っても受け入れられない
当然のことです。
まずはそんな状況でそれでも懸命にやってきたあなたを労いましょう。悲しいね。つらかったね。頑張ったね。どうぞひたすらに存在することを愛おしんでください。
人は誰しもが尊重されたい生き物です。
暴力やハラスメントされている期間が長ければ長いほど抗うより我慢した方がよいとすら感じてしまうこともあるでしょう。
いなくなってしまいたいほどに苦しい状況でそれでも闘えというのは残酷です。
そこでこんな風に考えてみるのはいかがでしょうか?
【被害者を降りる自由は残されている】
たとえ誰かがあなたに危害を加えても
真の意味であなたを傷つけることは
誰も出来ないのです。
つまり、今はこんなことをされて弱く為す術もないと感じてしまうけれど、弱く見える構図から見ているに過ぎないのだと捉えるのです。
相手はこの構図からでないと絵が上手く描けず都合が悪いのです。
しかしキャンバスはあなたのものです。
あなたの自由な構図を採用していいのです。
塗りつぶしまっさらにすることだってできるのです。
誤解しないでいただきたいのは、
私は決して法に反する行為を見過ごすことを推奨しているわけではありません。
堂々と権利を主張し、粛々と手続きを遂行することには大賛成です。
ここは大切なところですが、
相手がその構図でないと上手く描けないからといって、あなたにその責任はありません。
気の毒だな、そうなんだなと認識するだけであなたとは関係ないのです。絵を描くことが苦手な人もいるのだなと思うくらいにして相手の課題は相手に返してあげましょう。評価や感情を加える必要はありません。淡々と「そうなんだな」と捉えれば良いのです。加害者vs被害者という構図は認識を変えるだけで手放すことができます。
状況的につらくどうしようもない時
逃げ道や打つ手がないと感じられる時
アウシュビッツを生き延び、たとえ苦痛の中においても運命を受け止める態度を決める自由があるというビクトール・フランクルの態度価値。
あなたには態度価値が残されています。
決して誰にも奪うことのできない力がまだあるのです。
またお会いしましょう。
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