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私って完璧を求める人やったんやなぁ。
私がイメージしていた完璧主義者というのは、欠点を克服するため、理想の世界、理想の自分を実現するために、コツコツ、淡々とストイックに努力を重ねる人のことだと思っていました。
欠点を原動力に理想に近付いていくのとは対照的に、私がやっていたことは、欠点を自分を卑下するための材料として使っていたんだということに、気が付きました。
幼少の頃に目指す完璧な自分の姿というのは、身近にいる大好きな人、自分の身の回りのお世話をしてくれている人が望む自分の姿なんだなぁって思いました。
『子供への愛は無償の愛』とは言いながら、ついつい条件付きの愛になってしまいがちです。
私の場合は、ダメな自分でいることで、家族や身の回りにいる人からの注目を浴びて、構ってもらえる。
相手にしてもらえる。
存在を認識してもらえる。
という体験がありました。
だから、ダメな自分じゃなくなってしまったら、私の存在は認識してもらえない。
そんな漠然とした恐怖心を持ち続けていたような気がします。
まだ、断言できるくらい深堀りできてませんが。
あれ。
なんだか言いたかったこととずれてきた。
完璧を求める自分っていうのは、高い理想を持っている自分がいて、今の自分が理想の自分ではないことを許せなくて、ずっとずっと今の自分を責め続けていました。
ダメな自分であろうが、素敵な自分であろうが、誰かに褒められても褒められなくても、どんな自分であっても今ここに自分がいるということが、自分がここに存在しているという証明に他ならない。
だから、抱き続けていた漠然とした恐怖心、不安感はもう必要ない。
手放してもいい。
理想に達していない今の自分も、無償の愛で大切に愛されている存在だから、完璧ではない自分を責める必要はない。
未熟な自分を愛しながら、理想の自分を目指して歩んでいく。
そんな今を過ごしている私の現在地です。
自分を責めないってこんなに楽なんだ〜😄✨
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