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【在り方について考えてみた〜その②】

改めて振り返って考えてみるまでは気付きませんでしたが、自分の在り方というものに変化があったのは、これまた心の師匠西任暁子さんの

稲盛和夫さんの考え方に学ぶ読書会と
同時開催の池田晶子さんの残酷人生論に学ぶ読書会という講座だったんじゃないかなと思います。

正直に言うとこの2つの講座は、あんまり真面目にちゃんと受けられてなかったなぁという記憶として残っています。

なぜなら、『特にこの言葉が印象に残ってる〜!』というものが思い出せない。
ボヤボヤ〜っとしてるんやけど、でも【在り方】というテーマで振り返ろうとしたら、この講座が思い浮かんだんです。

その時の自分としては、腑に落ちてスッキリ感を得られるほど受け取れきれなかったけど、自分の意識を超えて潜在意識の方で染み込んでたんだろうなと思いました。

もう一度振り返って復習してみようと思い、講座の時にメモしたノートを見ると結構いっぱいメモしてありました😆

子供の頃から、ノートにきれいにまとめるのが苦手で思いつくままに、あちこちに走り書きなぐり書きするんですが、あとで見返してもぐちゃぐちゃでよくわからんノートになるんです😅💦

振り返っても響く言葉が何も思い出せないんですが、その当時の自分には理解が及ばなかった事と、その時の私は、貴重なお金を支払ってるんだから、何か得ようと必死になって、目がギラギラしてたんだと思います。

結果、何かを得るためにギラギラする事にエネルギーを消耗し、中身の内容を自分の中に取り込む、吸収する、浸透させる事にエネルギーを注げなかった。

だから、何も覚えていない。
覚えてないから、もう一度復習しなければ!!と思うもののもうすでに疲弊しているので、復習すらできない。

そして、覚えられない、復習できない自分はダメなヤツだとまた責める。

という負のループにハマってたんだと思います。

その後、【お金のワクワクコミュニケーション講座】を受講しました。

その時に教えて頂いたのは、『メモを取るのはやめて感じてください』とのことでした。

・メモを取ること。
・学んだ事を全部覚えようとすること。
・全部自分のものにしようとすること。
・支払った分の元を取ろうとすること。
・習得したもので、何者かになろうとすること。

それをやめよう、手放そうと思いました。

【何者かになろうとする】
こと自体にもう自分を否定する事実が発生している。

何者かにならなくても、もうすでにこの世に必要なかけがえのない何者かとしてここに存在をしている。

では、自分はなぜ学ぶのか?
なぜ学びたいのか?

学ぶことが楽しいからだ。

じゃあ、純粋に学ぶことを楽しめばいいじゃないか。

そう思えたんですよね。

そしたら、何やっても楽しいなぁと思えるようになったし。

自分がやってる事は全部、自分がやりたいからやっている。
それによって苦しみを感じても、それすらも苦しみを感じたいからやってるんだなぁなんて、苦しいと感じたちょっと後くらいに思えるようになって。

あぁ。こうやって色々感じられるっていうのはやっぱり豊かなんだなぁ〜。

と、豊かさに変換する自動プログラムになってるんやなぁって今、改めて思った〜😳✨

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のんまる
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