コントロールできるのは「プロセス」だけ
実は、わたしには今年とても挑戦してみたいことがあります。
――いや、もしかしたら、既に「ありました」(過去形)なのかも。
去年の末に、まるで天から降ってくるように「これ、突き進んでみたい!!!」と思えたテーマに出合いました。
これまでは、「これ、おもしろそうだね!でもいける?大丈夫??本当に大丈夫???……うん、どうやら大丈夫そう、だったらやってみるか、死ぬわけじゃないし…」と、どこかおっかなびっくりでスタートしてばかりだった私にとって、こんなインスピレーションは初めてかもしれません。
めちゃめちゃワクワク♡♡♡
が。
2022年始まって、まだ1週間経っていないというのに、早くも暗雲が立ち込めています。
反対されると思っていた夫からも、意外とすんなり「やってみたらいいんじゃない?」と言ってもらえて、前進あるのみ!だったんですけどねぇ……
具体的なあれこれを調べていくにつれて、「もしかしたら、私にとっては持続可能とは言いにくいのかも」ということがわかってきてしまったんです。熱意や覚悟ではなかなか乗り切れない仕組みがある、というか……。
ぼんやりとしか書けないから、なんのこっちゃ???という話ですよね。(すみません……)
大切なのは「結果」か「プロセス」か
そんなこんなのここ数日だったのですが。先ほどの(私にとっての)事件を思い返していた時に、過去にnoteに投稿したある記事のことを思い出しました。
次女の「がんばるスイッチ」が入った瞬間と、その過程や変化を見る中で感じたことなどを書いた文章です。
その最後に、私はこんな風に書きました。
ここ数日でわかったこと
まだあきらめてはおらず、いろいろ模索はしていますが……ビビビッ!!ときた目標の達成がかなり難しくなりつつある私。
しばらくは、ポケ~っとしてしまいました。
けれど、喪失感に打ちひしがれているのは自己満足だし、何も生みださない。「だったらどうするか」を考えながら立ち上がり、そうしてさっきの過去noteで思い出しました。
そうだそうだ。
私にコントロールできるのはプロセスだけ。
そしてそのプロセスの中だけでも、今回の件で気づいたことや得たことは既にたくさんあるんですよね。
夫は私のやろうとすることを根本的に否定することはない(再確認)
夫が「実はやりたい」と思っていることを知ることができた
その道の先輩に相談してもよい
→「調べればわかる」ことも、返答の中にはそれ以上の収穫があるアクションを起こすのは「経験を積んでから」じゃなくてもよい
私が今興味が高まっているベクトルの手がかりを得た
もちろんもともとの目標はまだあきらめてはいませんが……最後に書いた通り、「気づいていなかったベクトル」に気づいた今、思い通りの道を進めない場合に備えて、今回の「ビビビッ」をちょっと分解しよう。その脇にある私にうれしい選択肢の可能性を探ってみよう、とも思っています。
「目標」は「基準」になる
さらに、確信したことがもう一つ。
一昨日の投稿、”「目標設定」ってどうやるの?”でも書いた通り、目標や計画は「一つの基準」になるということ。
例えば「母親が作ったあの料理を再現したい」と思う時、頭には「お母さんの味」があるから「もっと塩を足してみよう」「あと5分煮込もう」とチューニングができる。
やりたいこと(=目標)・やるべきこと(=計画)が描けていないと、違和感が検証できないんですよね。
違和感は1mmずれただけの話なのか?180度違うものなのか?
そもそも違和感があるのか?
それがわからないから。
もし大きな方向転換をしたほうがいいと判断する場合も、基準をもとに検証することで改善された一歩につなげられるから、過去の目標まで含めて肯定でき、「無駄な時間を過ごした」と思うことなく糧にできる。
……というわけで、先行き不透明な年始ですが、一縷の望みにすがって結論を先延ばしにしたくないので、この後早速先人に相談メールを送ってみることにします。
望みが絶たれたら…そのときは検証して、第二の道を探るのだ!