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2足のわらじを履くことにした理由

4月、始まりの季節。

ここ数年はフリーランスで細々とやってきましたが……ちょっと働き方を変えることに。
フリーランスと並行して、「バイト」としての顔も持つことにしました。

実は、ここまでわたし的に様々な気づきが重なり、至った現在な気がしています。
誰か一人のヒントになれば……そんな思いも込めつつ、今回は備忘録として超長文を記すことをお許しくださいね。


「フリーランス1本で生きられない=負け」なのか?

そもそも、私はお小遣い程度しか稼いでいません。(謙遜ではなく、事実)
生活費は夫の収入に頼っているし、夫からも「稼いでくれ」とは言われていない。
だから、別に「これで食っていく」という覚悟もなければ、その必要性もない。「自分の生活がちょっと潤うだけの収入があればOK」と思っていました

一方で、「これは逃げなのか?本当はもっとバリバリ稼ぎたいし目立ちたいけど、仕事が少ない自分を正当化しているだけなのか?」という自分への疑問も。

さらには「フリーランスが副業を持つ=妥協(あるいは負け)」と思っていたところがあったみたい。
だから、「自分のお小遣いを稼ぐにしても、ライター1本で収入を増やしてこそかっこいい」「それ以外は自分的に許せない」という謎のプライドが……。

だから「もしもう少し収入を増やしたい」と思った時

「ほら~やっぱりもっと稼ぎたいんじゃん!
 今までのは甘えじゃん!」という自責
→「ライターの」仕事を増やさなくちゃ!
→自分の『やりたい』×すぐ手に入る仕事が目の前にはない
→どこか気が進まない仕事も引き受けるべし

……という思考回路に。

が、ここで問題が。
私は傷つきやすく、ストレスに弱い。図太く見えて、神経質で変に繊細なところがある。
別にかわい子ぶっているわけではなく、これ、小さなころから感じていたこと。

「あんまり興味ない分野だけど、プロってそういうものよね」
「断ると申し訳ないから」
「ちょっと面倒そうな香りが……」
――そんな心持ちで引き受けたお仕事は、結局自分の心や体によい働きをしない。
けど、それは私が弱すぎるから。気にしすぎるから。
もういい大人だし、こんなことにくよくよしたくない。辛いところに飛び込んで、ストレス耐性をつける必要がある
(と思っていた)。

ライターとしてもっと仕事をもらおうと思うと、
「ヘビーな経験してなんぼ」
「こういうしんどさが未来を創るんだ!」
「趣味じゃないと証明したいから」
――と、封印したはずの「自己犠牲至上主義」のスイッチ
が入っちゃうんですよねぇ。

結局私は
「稼ぎたいのか、ガポガポ稼がなくてもいいと(心から)思っているのか?」
「なんとなく気が進まない仕事をどこまで引き受けるのか?」
という問いを、ず~っとぐるぐる自分の中で抱いている部分がありました。


ハッとさせられた、2つの言葉

そんな私のモヤモヤを吹き飛ばすきっかけになった2つの出来事が。

■ 次女からの一言

次女の将来の夢を聞いていた時。

私「Sちゃんはやりたいこといっぱいあるね!どうしてそんなにお仕事したいの?」
次女「いろんなことがたのしそうだし、おかねをいっぱいかせぎたいの!」
私「え~おかねがたくさんほしいんだ!それ、どうするの?」
次女「いきたいばしょにいって、みたいものをたくさんみるの!」

あ~そうだった。

私は「稼いだ額=自分の価値の証明」と思っていたから苦しかったけれど、お金ってツールなんだよね。

自分の興味を満たすためのツールを手にするのに、「負け」も何もないじゃないか。
「ライター」以外の仕事で「ツール」を手にするって、可能性が広がってワクワクする!!!

しかも私のストレングスファインダーのTOP1の資質は「収集心」。
「ライター」や「フリーランス」にとらわれず、二足のわらじを履いた方が良さが生きるのかも……!


■ ゆりえさんの一言

先日取材させてもらった、お菓子ブランドオーナーのゆりえさん。

そのゆりえさんが、私のことをInstagramのストーリーで紹介してくださったときに、こんな表現をしてくださいました。

仕事もプライベートも生き生きと楽しむ女性

そうだ!「ライター業」以外も楽しく、フットワーク軽くあれこれつまみ食いするのが私らしさ。
むしろ、仕事だけに没頭だと私の良さはきっと半減する。

日々を仕事一色に染めることが「私らしさ」「私の成功」ではないんだ!


「時間」という資源

そんなことを考えていた中、さらに先日もご紹介した本「自分の時間を取り戻そう」の中の考え方に気づきをもらいました。


見えにくい時間は、見えやすいお金に比べてしばしば軽んじられます。

お金と時間は個人にとって最も貴重な資源です。だから(そのどちらがより重要かという、前節での話とは別に)そのいずれについても、できる限り大切にすべきです。そして時間を大切にするためにもっとも気を付けるべきことは、自分の時間を簡単に売らないことです。(中略)そんな風に考えていると、自分の時間はどんどん「お金のために売ればよいもの」に成り下がってしまいます。これは人生を安く叩き売っているのと同じです。

自分の価値を「お金」というメジャーだけで測っていたからどこか引け目を感じていたけれど、案件を選んだ結果、仕事をしないという結論に至ったのであれば、それは「0円=損失」ではなく、より高い価値のものに割くための時間を確保したと考えるべきなのかも。

……そもそも、プライベートも能動的に楽しめる私は、「時間」という資源を生かしたいい生き方をしてるのかも!

――堂々と、案件を選ぼう。
仕事からはみ出た「自分の時間」を確保しよう。


「努力、成長=苦しみ必須」ではない

――な~んて、これはやっぱり甘っちょろいのかしら?
自分を鍛えるためにも「厳しい環境」に相対してストレッチさせる必要もあるのでは?

この呪いを吹き飛ばしてくれたのは、マインドマップ&心理学の師である希恵さん

先日受講した「お母さんのための心理学講座」では、こんな話が。

ストレスは、人と比較するものではない。自分が感じたら、それはストレス。

脆弱因子が多い、少ないは人それぞれ。脆弱因子はあるままでOK。

むむ。私の傷つきやすさは、もはや特徴であり、これまでの人生で鍛えてきた分がストレス耐性の限界値なのかも。

もう十分がんばってきたじゃないか!わたし!!

しかもかつて受けたコーチングで得た気付きの一つが、「好きなことには、苦だと思わず努力できる自分」。

「やりたいこと」には楽しみながら努力や成長を追い求めるから大丈夫。
無理に気の進まない環境に身を置かなくてもいい――。


目指したいのは「週3~4日労働」

今回自分の気付きを整理してみて、暮らし方・生き方を変えることを目的とするのではなく、他人に価値を決めさせず、自分の手に価値基準を握り直すことがまず大事なのだなぁ、と改めて感じた次第。

「私が私らしくいるための要素」をさまざまなきっかけで洗い出せたことで、いろんな既成概念や呪縛をほっぽりだせた気がします。

例えば、隣を見て「バリバリ稼ぐママ友」にコンプレックスを感じたり、「専業主婦」である自分に後ろめたさを感じることもあるかもしれない。

でも、様々な事情や背景、制約は絡み合いながらも、結局はその選択肢を自分が選んでいるんですよね。
誰かのいうことや要望を無視することだってできるし、子どものことをほったらかしにするという方法もあると言えばあるけれど、そうしないのは、自分が今それを選んでいる――。

じゃぁ、どうして自分が今のような暮らし方を選ぶのか?
それを言語化してみると、「あぁ、今って実は自分の願いを叶えてるんだ!」とか、「こういう『べき論』にとらわれているんだ」という気づきがあるはず。

あなたの真の願いはなんでしょう?
私は堂々と、「週3~4日労働、残った時間は余暇を楽しむ!!」を目指したいなぁ!!!!!

2021年12月、WordPressでWEBサイト「じぶん実験室」を立ち上げましたが、2023年6月より、noteにお引越しを始めました。

2021年12月~2023年6月の記事は、WEBサイトに掲載していたコンテンツをそのまま移行したものです。


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