カルテ13:可惜夢
可惜(あたら)という言葉がありまして、意味が「残念なことに」という副詞でこれに夜を付け足した「可惜夜(あたらよ)」という「明けてほしくない夜」になります。万葉集で出てくるそうです。
万葉集なら情緒ありますが、気分が落ち込んでる人間にとっては全く違う切実なもんになるんじゃあないでしょうか。
最近夜が明ける、というか目を覚ます時に「起きなきゃならんのか」ってなります。
寝ぼけと言われればそれまでなんですが、敢えて言語化すると「意識」であることをやめたあの時間が終わるのが嫌だという心のしこりがある感じです。
そのしこりは明確に怠惰ゆえの睡眠欲と違うのだとはっきり言えると思います。
今日ちょっと昼寝したのですけども、ちょっとのつもりがおそろしいぐらいに体が意識のない方に戻れと命令されてる感じでした。
意識が体に対して「意識をなくせ」と命令って言葉にするとだいぶ変というか矛盾に満ちてますね。
さっきの可惜夜だと「夜といいながら昼寝だから昼やん」という話になるので可惜夢とでと言っときましょうか
前に石とならまほしき夜についての話でちらっとこの起きたくなかったという話をしましたが、どうも肉体の稼働という現象が憎いのかなというそんな感じもしてきましたね。ひとまず「死にたい」という感情と似て非なるものなのだろうなというのは安心材料と見ていいのかな。
それにしたって目覚めのために精神が何度もやられるというのはいただけませんな。
「目覚めるために世界は何度でも滅びる」という文言を思い出しました。世界という大仰なものではないですけど、目覚めのために何か大切なものを滅ぼしむるという詩的で破滅的なビジョンは今の自分にしっくりくるような気がします。