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好きを明確にする#4 初期衝動と未完成なかっこよさ



はじめに

こんばんは。今回は、初期衝動と未完成なかっこよさというテーマでお送りしたいと思います。前回までに、好きを明確にする方法という話をしてきましたけれども、好きを明確にするといいメリットというのは楽しもうとするのではなく、「楽しい」が勝手についてくることだと思います。
それが、なぜタイトルに繋がるのかということは一旦省きますが、今回、”初期衝動と未完成なかっこよさ”についてお話を展開してみたいと思います。

40・50・60才が来たら完成していないとダメじゃないか…といった考え方の蔓延

音楽、ファッション、ART、デザイン、音楽、おしゃべりなど、なんであれ、自己表現に関するところが、例えば、30才がくれば30歳なりのとか、40・50・60才が来たらいい加減どの分野でも完成していないとダメなんじゃないかというような…といった考え方が蔓延しているのではないかと思います。

ここからはファッション一つについて話を展開したいと思います。
40才・50才のオシャレをする際に、未完成なかっこよさではダメなんじゃないかというのがあるのではないかと思うのですよね。ファッションに対する経験値がなかったとしてもやはり生きてきた経験値があるから、それなりの格好をしないとダメというか、間違いを恐れるといったことがあるのではないかと思います。

色々なファッションのかたちがありますけれど、自分の好きを表現して出していくスタイリングであるとすると、自分の好きを出していくさじ加減についてですが…例えば、40才でファッションに興味を持ったとしましょう。
40才で興味を持った直後ですと、自分を出していくさじ加減が下手だったりする部分があったりしますよね。しかし、そのさじ加減のわからなさが、初期衝動的で(出しすぎていたり・とんがっていたり)、こういった未完成さはむしろかっこいいのではないかと思うのですね。

未完成なかっこよさで初期衝動的という部分は、何才になっても変わらないのではないか

SNSが流通して、オシャレな60・70・80 才代の方がいらっしゃいますよね。完成されたスタイリングをしているように映っても、そのオシャレな方の本人の中ではまだまだ発展途上かもしれませんよね。
これが、デザイン・ファッション・ARTなど何の分野であったとしても、未完成なかっこよさで初期衝動的という部分は何才になってもいつまでも変わらないのではないか、むしろ、こちらの方がかっこよくて伸び代があるのではないかという気がしています。
40・50才がきたからといって、完成されたもののテンプレをコピペして無理に完成されたものの枠に当てはめようといったことがあるじゃないですか…そういうことではないと思うのですよね。

デザインでの事例

デザインの分野の話を事例に上げてみます。
タイポグラフィーを作成するとすると、感覚的に文字の配列を散らして、黄金比(1:1.618)や白銀比やガイドラインを引いて数学的にバランス比率を調整するわけです。しかし、調整しすぎるとそれはそれでまた人の感覚であえて再度ずらしたりするわけですね。
例えば、40才でデザインに興味を持った方は、最初のうちは黄金比(1:1.618)や白銀比やガイドラインなどスキルを用いなくても、感覚的に文字を散らしたり色でリズムを取ったりなどでまずは表現するのでいいと思っています。
色々なことを覚えると、最初に始めた頃の感覚は消えてしまう部分があるので、その時にしか出せない表現は出しておいた方が良いように感じているからですね。

弾き語りコピーの事例

もう一つ、コピーでの弾き語りでの表現について事例を挙げてみたいと思います。上手く見せようとかテクニックに走っているとか、は上手いのですが、テクニックで止まってしまい、よく見せようということしか伝わってこないのですね。
ですが、下手で音がはずれていても楽しんでいる(好きが伝わってくる)ものは、ずっと聞いていられるのですよね。そして、そこに伸び代があると思っています。

まとめ

ですので、未完成なかっこよさ・初期衝動的なかっこよさということは、
いくつになっても死ぬまで続くことなのではないかと思っています。
あまり完成されたものを求めすぎてショートカットをしすぎると、
楽しいものも楽しくなくなるのではないかとも思っています。

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