自分に失望したときは
自分にガッカリすることが、ある。
もっと寛大だと思っていたのに、小さなことでイライラしているとき。人の成功を素直に喜べなかったとき。思っていた以上に、上手くできなかったとき。
この「ガッカリ」は、自分への期待と現実とのギャップが生み出す。
理想の自分や「こうあるべき」と描く自分像と、そこには到底達していない自分との落差。イメージから現実への落下距離が長ければ長いほど、失望は深くなる。
さて、自分に失望したとき、頭の中にどんな言葉が浮かぶだろう。
やっぱり自分はダメだなあ?
なんて小さな人間なんだろう?
もっと頑張らなければいけない?
わたしの場合は、自分に対して、こんな言葉が出てくる。
「ごめんね、わたしが悪かった!」
わたしが「わたし」の目を見つめながら、手を合わせて謝るのだ。
謝罪の対象は、自分が「自分」を過大評価していたこと。
これくらい小さなことは許せるだろう。
人の幸せは素直に喜べるだろう。
このくらいの成果は出せるだろう。
それらはぜんぶ、自分が事前に描いていた「理想の自分」であり、その見積もりが大きすぎたことによって現実とのギャップが生まれ、自分に失望してしまう。
であれば。
悪いのは「できなかった自分」ではなく、「見積もりが甘かった自分」だ。過大評価しすぎた自分、自分を大きく認識しすぎていた過去の自分の見積もりの甘さが、このギャップを引き起こしたのだから。
それでわたしは、「わたし」に謝る。
ごめんね、わたしが悪かった、あなたは悪くないのだよ、と。
わたしは大人になってから、自分と「自分」の関係を改善できるよう、10年にわたって地道に試行錯誤をし続けてきた。
それまでずうっと、わたしは「わたし」に、「ごめんね」が言えなかった。
「ごめんね」や「ありがとう」の代わりに、「そんなんだからダメなんだよ」と言い続けてきた。
自分を受け入れるとか、認めるとか、それはとても綺麗なもののように見えるけれど実はそうではなくて、むしろ「そんなんだからダメなんだよ」と激昂する自分との泥臭い格闘だ。なじりたくなる自分を必死に抑えて、言うべき言葉はそれじゃないでしょう?と剣幕で詰め寄るような。
そんな格闘の末、わたしはいつしか、自分に「ごめんね」を言えるようになっていた。
ごめんね、わたしが悪かった。
頑張ってくれて、ありがとう。
「どうしたら自分と仲良くなれるのか」を考え続けてきたけれど、結論、こんなに簡単なことなのだ。必要なのは「ごめんね」と「ありがとう」だった。
大切な人と、大事に関係を築くように。
悪いなと思ったら、相手を傷つけたら、ごめんねを言うこと。
相手の思いやりや、努力や、やさしさに目を向けて、ありがとうを伝えること。
それで、つい最近も人の幸福を素直に喜べなかった自分にガッカリして、すぐさまわたしは、「わたし」に言った。
「ごめんね。ガッカリなんてしなくて大丈夫。わたしって、そういう人間くさいところあるじゃない?自分のペースで、大丈夫なんだよ」
素直に喜びたかったわたしと、その理想を叶えられなかったわたし。どちらも「わたし」で、そこに正解不正解なんてないの。
わたしが「ごめんね」と言えば、「わたし」は「ありがとう」と言う。
それでそこからまた、手を取り、歩いていけばいいのだから。
おわり
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