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医療が変わる小さなきっかけとなれたら……
自己紹介文を作るのに合わせて、「私のジストニア物語」も練り直すことにした。
今日は、1話から4話を振り返って
感じたことがあったので、それについて書いていこうと思う。
・幼いころからの不快な感覚
私は、幼い頃から体が何か変だと
感じていた。
けれど、他の人もきっと同じ感覚なのだろうと思って誰かに言おうとは考えなかった。
それに、不快感を感じることは悪いことで、いけないことなのでは、と
幼心に思っていた気がする。
だから、すごく意識して違和感を
隠していたわけでは無いけれど、隠す意思は心のどこかに確実にあった。
・「精神的な問題」だと言わない医師と出会えて嬉しかった
無理が重なって、大人になって眼瞼けいれんを発症した。
そして瞼の手術、という流れになったけれどあの時、本当にこの治療に納得していただろうか。
子どもの頃からの深い悩みは、まぶたが元凶だったと心から思えていただろうか。
おそらく、そうではなかった気がする。
体調が悪いことは日常だったので、
よっぽどでない限り、病院に行くことはなかった。
とは言え、それでも行くことはあった。
けれど、行ってみてはどの医師も「精神的な問題」だと指摘した。
その中で、ようやく「そうではない」と言ってくれる先生が現れてくれた。
安心して、嬉しくて、飛びついて手術を受けてしまった、というのが正直なところだと思う。
・意地になって手術を受け続けた
全身性ジストニアは、ここから始まった。
それでも瞼の手術を受け続けた理由は、挙げればいくつも出てくる。
ただ、今のこの流れの中で1つ挙げるとするならば、私なりの意地みたいなものがあったのかもしれない。
幼い頃から心身に問題があったのに、それを「精神的」と片付けてきた医師たちを見返したかったのかも。
ほら、ちゃんと原因があったでしょ?
精神的な問題ではなかったでしょ?
と言いたかったのだと思う。
ふたを開けてみると、まぶたが原因ではなかったので、無駄な意地ではあったのだけれども。
・医療が変わるきっかけを作れたら
結局のところ、私の体の問題を
もっと早い段階で見つけてくれる人がいてくれたら、人生は違っていたのではないかとつい、思ってしまう。
私の他にも、そうやって苦しんでいる人は世の中にたくさん、たくさん
いるのではないだろうか。
だから、私はジストニアと診断されている人たちだけでなく、自分と同じように病院に行っても原因不明で
診断がつかない人たちの役に立ちたいとも思っている。
そしてそれがいずれ、医療が変わる小さな小さなきっかけとなってくれたらと願っている。
遠い未来の話になってしまわないように、今できる活動を着実に形にしていこうと思う。
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