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「心の健康を追い求めたら、体の健康まで手に入った」と言えるのが理想【健康エッセイ】


・病気になって、発病前より健康な自分を目指した



いきなりですが、みなさんには目標ってありますか?

私の場合、病気になるまでは、特に持っていませんでした。

でも発病してからは、治ることが目標になりました。

目指したのは、病気になる前よりも健康になること。

それは、健康を味わってみたかったから。

以前は、不定愁訴系の症状が目立ちました。

明らかに病的ではないけれど、検査をしても異常がない。

だから、「健康なはずなのに不調」という状態が日常でした。

けれども、ジストニアになってから、私って実は健康を感じたことがなかったのかも?!と思うようになって。

健康を味わってみたいと思ったのです。


・ 私にとって「健康」とは



健康とは何なのだろう。

かつての私にとって健康とは
「体が自由に動くこと」
「不調が一切ないこと」

だと思っていました。

けれど、今は
「安心感」
「心地よさ」
「心の解放感」

といった状態を健康だと思うようになりました。

そう考えると、実はもう「健康になる」という目標を、私は達成しているのですよね。

もちろん、まだ症状は残っています。

だから脳を含め、全身が快適とは言い切れない。

けれど、心は穏やか。

それは、幼い頃から抱えてきた不調に対する疑問が、解消されているからだと思います。

前より、心がはるかに自由なのです。

だから、目標が叶っていると感じるのだと思います。



・すでに「健康になる」目標は叶っているけれど


とは言え、今の状態で本当に満足?と訊かれると、はい!と答えられない自分がいます。

それって、どうなのでしょう。

何事にも良い面と悪い面があると言われますね。

目標も例外ではありません。

生きがいや活力が目標の良い面だとすると、達成できていないことに目が向きやすいというのが、悪い面として挙げられるのかも。

数字の目標が代表的な例ですよね。

その数字に満たないと、目標に行けなかったことになってしまう。

でも、私は別に達成できていないとは思っていないのです。

程度が問題なだけであって、達成できていることに変わりはないから。

目標は叶っているけれど、もっと叶えたいという感じです。


・心の「健康」はどこまでも追い求めて良いと思う


たまに、そうやって理想を追い求めることは、欲張りなのだろうかと思う時もあります。

「足るを知る」という言葉があるから。

けれど、それは感情の欲を指していると思うのですよね。

物、お金、地位、名誉、権力などなど。

そういった表面的な欲を戒めるための言葉なのではないかと思っています。

でも、心の欲には制限を設けなくて良いのでは?

誰だって(いや多くの人は)、きっと
不安なく、楽しく毎日を生きたいと願っているはず。

心の満足感は、皆に与えられた権利だと思います。

その心に制限をかけるのは、違う気がするのです。

そして話はとてもとても大きくなってしまうけれども、1人1人の心の満足感の先に、世界平和があるのではないかとさえ思ってしまいます。

だから、私は心の健康をどこまでも目指したい。

と同時に、そういう人が増えてほしいとも思っています。

ジストニアで苦しむ人が、1人でも減りますように!という想いは、もちろんある。

けれど、心の健康を追い求めた末に
ジストニアまで治ってくれればなお良い、
という気持ちが強いです。

心が満たされていないのは、すごく辛いと思うから。

心が満たされている方が、やっぱり嬉しいから!


※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
ありがとうございます😊

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