傑作ホラー小説「ぼぎわんが、来る」を読んで
澤村伊智さんのデビュー作です。
あらすじ
“あれ”が来たら、絶対に答えたり、入れたりしてはいかん―。幸せな新婚生活を送る田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。それ以降、秀樹の周囲で起こる部下の原因不明の怪我や不気味な電話などの怪異。一連の事象は亡き祖父が恐れた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか。愛する家族を守るため、秀樹は比嘉真琴という女性霊能者を頼るが…!?全選考委員が大絶賛!第22回日本ホラー小説大賞“大賞”受賞作。
(bookデータベースより。)
ホラーであり、ミステリーであり
得体の知れない恐怖の存在の話です。
“ぼぎわん”という恐怖の存在が何なのか、徐々に迫っていく感じ、その過程が面白かったです。
何かわからないものって怖いですよね。知らないが故の怖さ。解釈できない怖さ。
この物語は全3章。章ごとに語り手が違います。
第1章では、あらすじにも出てくる田原秀樹の視点、第2章ではその妻の香奈。第3章では、、、と言うように変わっていきます。
このシステムで面白かったのは、主観と客観のギャップです。
僕自身が語る僕と、あなたから見る僕は想像よりも遥かに違います。
どんな事象も視点が違うだけで見え方が全然違う
語り手の変化によって明らかになる事柄から“ぼぎわん”とは何なのかに近づいていくのが面白く、引き込まれました。
また、ある人の視点では正しいと思われる行動が、別の人の視点では悪になっている、というような人間の怖さも同時に散りばめられています。
また、悪意を持っていない悪、のような複雑な人間味も恐怖として登場します。
得体の知れないモノの恐怖と生きている身近な人間の恐怖、さまざまな“恐怖”が描かれています。
さて、この小説が書かれた背景として、筆者の澤村さんの恐怖についてのある仮説があったそうです。
澤村は執筆にあたって"恐怖"とは何かを考え、人に"恐怖"を与えるのは対象それ自体の姿形や性格ではなく、「人々に恐れられている」ということ自体ではないかと仮説を立てた。つまり、おばけの由来や実害そのものよりも、名前とそれが「怖いという触れ込み」が不気味さと恐怖を掻き立てると考えた。作中では不可解なできごとが重なるが、澤村によると"恐怖"を生み出すのは「何が起こったかより、誰がどんな反応をしたか」である。仮説を実証するために澤村は架空のおばけ「ぼぎわん」を創作し、登場人物たちがそれを恐れる姿を描くことで、読者に"恐怖"を生み出すことを目指した。そのため本作では語り手たちのリアクションに重点を置いた描写が徹底されている。
筆者はここまで深く“恐怖”について考察し、それを物語にのせたと思うと、読んでて怖くなるのも当然ですね。
どうやら映画化もされているみたいですね
本を読むのが好きでは無いけど、ぼぎわん気になるって方はこちらをぜひ!
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