古事記を読んだ人へ
今回は番外編として古事記が作られた歴史や
古事記に残された謎を詳しく紹介します。
まずは古事記の歴史について。
古事記は天武天皇の頃、稗田阿礼によってまとめられました。
これに関してはきちんと理由があり、645年の大化の改新以降は天皇中心の政治となりました。つまり天皇という権力者が強く正しいと証明するために物語が最も庶民の心に届くと考えられたのです。
ちなみにこれを建国神話といい、日本だけでなく世界各国にも存在します。有名なところだとアメリカの独立戦争などですね。
そんな古事記ですが現在の学生は習わないですよね。実は日本史の中で古事記を習わせないようにされたのです。
ご存知の通り日本史は大きく分けて天皇中心の時代、鎌倉から江戸時代までは武士の時代、そして明治以降は天皇中心の政治に戻ります。
大切なのは大政奉還なんです。この大政奉還とは武士から天皇中心の政治に戻るということだけではなく、天皇が権力者として正しいと記した物語 古事記や宗教 神道が他の宗教より優位になったことでもあります。天皇が権力者だから神道が大切だ、神道が大切なら仏像なんていらないで始まったのが廃仏毀釈や神仏分離になります。そして天皇を神の子孫同然と習って敬ってきた日本人はその忠誠心と共に戦争へと走るのでした。
そんな天皇中心とした政治も第二次世界大戦後には変化します。GHQによって天皇中心かつ忠誠心の強い日本は解体されました。これにより天皇崇拝の根源でもある古事記の教育が消えました。だから私たちは古事記を習わないのです。
では最後に古事記に残された謎に迫ります。
全部で5つピックアップしました。
まずは伊勢神宮と出雲大社の関係です。天皇の直轄であるが故に神宮と呼ばれていますが、出雲大社は天皇直轄ではありません。では出雲大社とはどこに所属するのでしょうか?
次に出雲大社に関してです。実は出雲大社には大きなしめ縄がありますが、向きが左右反対なんです。一般の神社のしめ縄は結界として機能しており、神の世界と現世を分けています。つまりしめ縄は神の世界の入口になるわけです。というとは出雲大社は出口になるわけです。いったいどこからの出口なのでしょうか
3つ目と4つ目は一気にいきます。ここまで長い古事記ですが邪馬台国や富士山の記載がないんですね。邪馬台国やヤマト王権は天皇とは関係ないのか、富士山はもしかするとまだ攻めていない東北の部族の信仰対象だったとも考えられます。
最後にアマテラスなどの天皇の先祖となる神がスサノオなどの国の神より活躍する話になっているのが古事記の特徴です。つまり天皇の権力を証明するために天皇の祖先の神を優遇したともとれますよね?
今回は以上になります。日本の古代史は未だに分かっていないことが多いです。国家プロジェクトとして解明されることを祈っています。