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くるくるハムチーズのパラレルワールド

娘の通う保育園には、月に1度お弁当日がある。

お弁当日の前日、お迎え時には各所に『明日はお弁当日』の貼り出しがしてあり、子どもたちは、あらゆる場所であらゆる人と「あしたって、おべんとうのひ、だよねェー」とホクホクしている。

対して大人たちは、貼り紙を見ては、子どもに気づかれないようにため息を吐く。

保育園だから当然なのだが、作り手である大人はみんな暮らしのために仕事がある。

子どもは勝手に起きたり、勝手に準備したりしない。

朝は、忙しい。時間との戦いだ。かと言って、月に1度のお弁当日ぐらい、できるだけ子どもが喜ぶお弁当にしてやりたい。それが親心だ。巷では、時短でかわいいお弁当おかずの情報や、入れるだけで良い冷凍のお弁当おかずが溢れている。それこそが、現代の親たちが抱える葛藤を表しているように思う。

かく言う私のもとにも、月に1度のお弁当日はやってくる。

私個人の感想としては、今のところ楽しい半分、めんどくさい半分。

これから体調不良や飽きなんかで、その割合は変わっていくのだろうが、毎回なんだかんだ「楽しかった」で終われているお弁当づくりである。

昨晩から、何を入れようか、どんな風に入れようかと考えたりして結構やる気。

当日の今日は朝5時半に起きた。
卵焼き、タコさんソーセージ、ちくわきゅうり…定番のおかずを用意しつつ今日のメインのミートボールは大きめの肉団子にしてタレで味付けした。
できあがったおかずを頭の中でお弁当箱に詰める。

「うーん、色が物足りん。そやなぁ、ピンク…鮭?いや、入らん。ハム。ハムや。」

と、いつもより早起きの脳が、以前見たショート動画のくるくるハムチーズの映像を流してくれる。
ロースハムと、スライスチーズを重ねてレンジで20秒ぐらいチン。ちょっとトロトロしたチーズをハムで巻けば、渦巻き模様の断面がかわいいくるくるハムチーズの完成だ。

いい。ちょうどいい。
そう思って、すぐに準備をした。
4枚1パックのハムは、くるくるハムチーズ用に1枚取り出すと残り1枚となった。
1枚だけ置いてても忘れちゃうかもなぁ、乾いちゃうしなぁ、と思った。
朝ごはんをまだ食べていない私はマヨでもつけて食べちゃおうかな〜と考える。

でも…もしかしたら。
くるくるハムチーズ失敗するかもな。
キレイに巻けなくて、やっぱりもう1つ作ろうとするかも。
それなら、このハムを食べてしまってたら、アチャ〜やな〜とも思った。
そうして、わたしはハムを食べない世界へ。

もう一度言う。
ハムは置いた。
失敗したら、やり直せるように。
結果は……というと。

失敗したのにやり直さなかった。
しかも、全部お弁当を詰めて

「くるくるハムチーズなんかいびつになっちゃったな〜まァ、いいや。スキマに詰めるだけだから。」

なんて思って、蓋を閉め、自分の朝食用に食パンを焼き、そのパンの上に目玉焼きをのせて、1噛みするまで、ハムのことを思い出しもしなかった。

パンを1噛みして、不意に『あ、わたしは今、失敗したくるくるハムチーズのために残した1枚のハムを使わなかった世界線にいる』と思った。

たぶん、その瞬間には、ありとあらゆる世界線があって、例えばくるくるハムチーズ用にハムを残さなかった世界線や、くるくるハムチーズを失敗しなかった世界線、そもそもくるくるハムチーズを思い出さなかった世界線もきっとある。

そんなことを考え出すとキリがなく、途方もない選択を、これまでも、そしてこれからもして、その数だけ…いや、きっと厳密にはそれよりもっとたくさんの世界線を、私達は渡り歩いている。

ハムは、その日、忘れられ、そうしてそのあとしばらく、忘れられ。

最初にわたしが思った通り。
数日後、端がカピっと乾いた状態で、再びわたしの世界へと登場する。

そうしてわたしは、冷蔵庫の前で考える羽目になるのだ。

さて、ハムエッグか?
それとも、チャーハンとか?
端だけ、ピッと切ってマヨでもつけて食べちゃおうか・・・なんて。


〜2023年10月の下書きから〜


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