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「清原と桑田からみる人生観」

今日はちょっと角度を変えて、二人の有名野球選手の人生を取り上げて考えてみたいと思います。

もしお二人をお好きな方がいましたら、偏った情報もあるかもしれませんがご容赦いただきたく
よろしくお願いします。

清原と桑田はKKコンビとしてPL学園高校で甲子園のスタートして脚光を浴びました。
当時桑田は小柄で、精鋭が集まるPL学園の中でも目立つ存在ではなかったそうですが、球威もそれほどない投球ではあったが、1球1球に何か生きている、魂がこもった気迫を感じるということをコーチ陣が感じ取り、のちに外野からの玉拾いの返球にその片鱗を見たということで投手に抜擢されます。

清原も、当初は同じくピッチャーを志望して入ってきたそうですが、そんな桑田の存在をみて、野手への転向をします。
双方、お互いのことを全国にはすごい選手がいるものだという目線で見ていたとのことで、すぐに意気投合、親友の関係となりました。

しかし、後日談となりますが、学校での関係は清原がお山の大将でかなり偉そうに振る舞っていたという実体があり、桑田の心底の腹では、疎ましく感じていたということを語っています。

お互いに、甲子園では素晴らしい成績を残しつつ卒業時期を迎えます。

そして、あの有名なドラフト会議へと進みます。

桑田は周囲に早稲田進学を公言してお李、実際に入学手続きまで済ましていました。
清原は尊敬する王監督の元でやりたい、母親の意思でもある巨人への入団を果たしたいということで、外堀は固まっているように見えました。
実際に、巨人は清原にも働きかけ、しかし、同時に桑田にも働きかけをするという状況がありました。

そのことを清原は全く知りません。

ドラフト会議では清原指名が続く中、司会のパンチョ伊藤さんが名前を読み上げます。実際に巨人の指名の場面では驚きがあったのか、一瞬の躊躇が見られます。

巨人 桑田真澄 投手 PL学園

同時中継で清原もカメラに映っており、あまりの驚きに顔を歪めるシーンが映し出されました。
それはそうだと思います。
当時わずか17歳の高校生がこのようなことがあったら困惑するのは当然で、驚きがあったでしょう。

そして、桑田が巨人入りを断り早稲田に進学することも信じていました、この時点では。

なので、清原心の中では仕方がない、3年待って実業団で実績を積んで巨人に入ろうと思った瞬間でした。

しかし、桑田の決断は巨人へいく、当初から巨人から指名があった場合はプロに行くと決めていたとのこと。

そして、この発言の裏にはまた驚くべき状況があったことをみなさんはご存知でしょうか。

この時期桑田はあるスポーツメーカーから(大手ではありません)グラブの使用、スポンサー打診を受けていました。

そこで、弱冠17歳の桑田真澄はスポーツメーカーの交渉担当との面談初日に、ソープランドへ連れて行って欲しいと打診します。

このとき、交渉担当は耳を疑ったと言います。
17歳の少年に対して用意していた接待は、ディズニーランドで遊ぶことや、高級ステーキをご馳走すると言ったことを会社としては用意していたのですが、当人のこちから出てきた要求はソープランド

担当者は会社に相談するものの、結局経費ではおとせず、自腹でソープランドへ連れていくことになりました。

そして、その後も驚くべきことに
メーカーのグラブを使用する代わりに、契約金+裏金(月20万円)しかもタックスなしという要求が来ます。

驚くのは高校生にしてタックスなしの裏金を要求してきたということです。

この話は当時のメーカー担当が退社を決意して、この裏話を出版社にリークして出てきたもので、人の話なので完全に信用することはできませんが、のちの桑田の金がらみの話から本当なのではないかと推察はできます。

何が言いたいかというと、桑田という人間は幼い、若い頃からとんでもなくある種黒く、腹が座った人物であったということです。
もちろん人間はさまざまな側面を持つので、一概には言えませんがやはりある種の化け物であったことはいなめません。

同じく、清原も、桑田よりも幼さや純粋さはあったかもしれませんが、それでも獲得獲得、上昇、刺激ばかりを追い続け、どこへ行っても番長、という称号の元傍若無人に振る舞ってきたと聞いています。

時代もそれを許してしまう時代だったとは思いますが、それでもその追求はあまりにも過激であり、周囲の人にしてみたら溜まったものではなかったと推察します。

清原をポテンシャリティでは最大限に買っていた落合も、彼の心情を見抜き、野球に真剣になっていないことを見抜きます。

事実、彼がもし本気で野球に取り組んでいたら、あらゆるバッターの記録を塗り替えた可能性もあります。

しかし、銀座通い、女性遊び、チーム内外での番長ぶりなどに傾倒して、結局その才能を生かし切ることはありませんでした。(まあそれでもあれだけの成績を残したので、やはりすごい選手ではありますが)

二人は双方違った道を通りますが、同じような失敗に見舞われます。

桑田は野球で稼いだお金も十二分にあったのにも関わらず、結局不動産と事業でほとんどを失い、あることか借金まで背負うことになります。その経緯も詳細は省きますが、彼の金欲に塗れた生活からきていたものというのは間違いないとのことです。

清原は、お金方面での失敗は重ねなかったようですが、そちらではなく精神面の弱さから薬物・暴力団との関わるの方へと進んでしまいます。風貌も、明らかに巨人時代半ばから変わってきており、ほとんどヤクザのような風貌へと変わり果ててしまいました。あれだけ格好良い選手であったのに、残念な仕上がりになったなと思っていました。

桑田は巨人からピッツバーグパイレーツ、そして解説者を経て、また巨人の投手コーチへと

清原は西武、巨人、オリックス、引退後は芸能活動、そして薬物騒動、離婚、今に至るという流れです。

2人とも社会的に見たら、最大限に成功を納めてきたはずの二人でしたが、どうでしょうか?本人に聞いてみないと腹の中は分かりませんが、しかし、決して勝者、そして幸せな人生であると言い切れないような気がします。

もし、二人が足るを知って野球で得た収入で十二分に満足して暮らしていたら、どうなっていたでしょうか。
また、清原が獲得や刺激を求め続ける人生からどこかのタイミングでそうではなく与えることや静かな生活を求めていたらどうなっていたでしょうか。

こう考えてみると、一度乗ったレールからは外れることが難しいのでしょうけども、結局獲得の果てにはうまくいこうが失敗しようがその過程にもあまり幸せな現象は待ち受けていないような気がします。

桑田は野球が心底好きなようでした

それはパイレーツ時代にすごく感じました。
巨人時代はそれよりも利権や巨人にまつわるプレッシャー、その他さまざまな利害関係者、、、そればかりで楽しめていない感じがありましたが、パイレーツでは野球人に戻ったような感覚がありました。

彼も、どこかで追求し過ぎたことで逆に行ってしまったと思っているかもしれません。
しかし、桑田さんはかなりおそらく想像するよりも強く、冷静な方だと推察します。精神的に強い方だと思います。そしてそれが悪い方向へ出てしまっていたと思います。

清原さんはむしろかなり弱い方、自己が確立されてない方、ある種純粋な方だと推察します。だからなんとなく周囲の方も可哀想だとおもってしまうのでしょう。

しかし、ここから学ぶのは
・あまりにも強く獲得へ進む人生はうまくいかない
・お金や立場は人生を幸せにはしてくれない(程度問題ですが)
ということかなと思っています。

お二人とも、今後の人生が輝いていくことを願っています。





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