チーカマ精神
私の家は時々チーカマを食べる。
父親がたまに買ってきて、別に特別好きなわけでもないが、小腹が空いた時にあると嬉しくて食べる。
魚肉ソーセージが置いてあると「・・・魚肉ソーセージかぁ」となるが、チーカマが置いてあると「おっ、チーカマか」となる。
先日も、夕飯前にお腹が空いたので冷蔵庫を開けると袋にチーカマが3本ほど残っているのを見つけた。丁度いいやと思い少し気分が上がった状態で食べようとしたのだが。
「・・・開かねぇ」
チーカマを覆うビニールが全然破れないのだ。
「・・・ん、なんだこれ、ちくしょうどうなってんだ」
チーカマはビニールを開けるために赤いテープが貼ってあり、それを剥がしつつ中の切れ込みが入ったビニールも剥がすとうまくチーカマ本体が出てくる仕組みになっている。
しかし赤いテープを剥がしても切れ込みが小さ過ぎて、一向に剥がれる気配がない。
どうにかビニールを破ろうと爪を使ったが結局綺麗にむけることなく、一昔前のギャルが履くぴちぴちのダメージジーンズみたいになってしまった。
「はぁ、はぁ、なんだよこれ」
結局私はイライラしながらハサミを使ってビニールに切れ込みを入れ食べた。当然ビニールだけを器用に切ることなど出来ず、ギャルの肌も大いに傷付けた。
「なんでこんなに食べづらいんだ・・・」
私は不思議に思った。なぜこんなにも食べづらいのか。確かに魚肉ソーセージなどのビニールを剥くのは昔から至難の技で、毎回食べようとすると中身もえぐってしまいイライラすることの繰り返しではあった。
しかしそれは私が幼い頃の話で、それからゆうに10年は経っているし、今となってはどこからでも切れるビニールなども発明されている。
それなのにも関わらずチーカマは未だにダメージジーンズ。おかしい。味はもう十分なのだから、これからさらに改良を加えるとしたらあとは食べやすさしかないはずなのに、なぜそれをしないのか。
あのポテトチップスだって、訳わかんない色んな味出してる。ポテチなんてうす塩、のり塩、コンソメだけでいいのに、貪欲に新しい味を開発しては出してる。
それなのに、チーカマは。。
子供の頃剥がしにくかったビニールが、大人になっても剥がしにくいってどういうこと?
チーカマに歴史を重んじる古参でもいるのか?剥がしにくかったあの頃が良かったとか、剥がしにくさに風情を感じるとか、チーカマに古き良きもクソもないだろう。
私はチーカマに期待している、だからこそ、チーカマには是非ともポテトチップスのような貪欲な精神を見習ってもらいたいものだ。