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ソウルの龍と月宮殿建設 靖国・君が代・朝鮮半島4 (歴史の改ざん・日韓対立への道.21)
龍の国の証し
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中国文化の影響を強く受け続けていた朝鮮。
その影響からとっくに抜け出し明治維新を成し遂げた日本とは異なり、龍は依然として皇帝の証しでありました。
これを持つことは朝鮮半島は天より遣わされた龍人によって統治されている偉大な国であることを意味するためでした。
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しかし、清国の属国扱いであった当時の韓国(李王朝)は清国の外交使節が目にする場所には龍を描くことは出来ず、格下の鳳凰が入れられていました。
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それが日本が日清戦争で清国に勝利したことによって、韓国は初めて中国の影響から抜け出せました。
そして景福宮 勤政殿の天井に皇帝の印である龍を描くことが出来たのでした。
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これに対して日本は「皇帝(天皇)=龍」の文化をすでに失っていたことと、あくまで同盟国関係を望んでいたため、その行為について咎めることはありませんでした。
こうして韓国は独立国としての体面を得たのでした。
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しかし高宗皇帝はロシアの策謀に安易にのり、宮廷人も誰も皇帝を諫めることなく日本を裏切りました。
それが、ロシアの南下を防ぐため莫大な犠牲と膨大な戦費を費やした日露戦争後に起きたハーグ密使事件です。
これに対して激怒した日本は外交圧力を高め、結果、高宗皇帝は退位に追い込まれ、子供の純宗皇帝が即位しました。
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しかし純宗皇帝の代に使われた昌徳宮は鳳凰の印のままでした。
この処置は日本側がこのままの韓国王室では周辺国に利用され共倒れになること危惧したため、すでに留学が決まっていた李垠殿下の日本での教育が終了次第、皇帝に即位させることが決まっていたからでした。
龍宮 「景福宮 慶会楼」
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日本が編さんした歴史民俗 朝鮮漫談にも掲載されている様に「景福宮 慶会楼」が「龍宮」であることは、京城になる前の漢城の時代から王族だけではなく都の両班などには知られていました。
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龍宮「慶会楼」で撮られた写真。
明治40年(1907年)10月の訪韓前に起きた韓国の裏切り行為を受けて日本は、日韓両国の良好な関係は続いているという国際社会にアピールする目的がありました。
また、鳳凰の宮殿に住む皇帝の国を訪れながら、わざわざ龍宮を舞台に嘉仁親王と幼い李垠殿下を中央に撮影したことによって、日韓次代の皇帝のお披露目も兼ねていたのです。
龍を描いていた京城(ソウル)近代化
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朝鮮の龍神信仰に配慮して日本人が建立した「龍神の祠」
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こちらも日本が建設した漢江鉄橋から線路沿いに景福宮まで線を引いて行くと「巨大な龍」が現れる様になっていました。
Googleマップの鷺梁津洞が龍神の祠が設けられた側になる鷺梁津になります。
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天照大神と明治天皇を祀った朝鮮神宮は南山の高さを利用して作られたため、地図平面上の龍によって示される序列からは外れる形になっていました。
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景福宮が特別な王宮として日本側も認識していたからこその、「龍」を作った京城(ソウル)近代化だったのです。
「いや疑いは人間に在り。天に偽りなきものを」
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併合後も勤政殿内天井の龍は残されていました。
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何事にも上下の関係にこだわる儒教の国であった韓国に対して最大の配慮もして、歴史ある勤政殿より下位に月宮殿(朝鮮総督府庁舎)は建られました。
月宮殿(朝鮮総督府庁舎)は韓国への移行(龍人が戻ってくる)ことを想定した建設でした。
「いや疑いは人間に在り。天に偽りなきものを」
完成した月宮殿の大壁画「羽衣」が謡曲「羽衣」から画題を採っていたことにより、日本は貴方(韓国)の大事な羽衣(韓国皇太子)をお返ししますよ、天人(日本国天皇と韓国皇帝)の約束には偽りはないですよというメッセージにもなっていました。
この重要な計画の背後にあったものが朝鮮半島の新羅の建国は出雲族によってなされたという歴史認識でした。
そしてもう一つ重視されていたものがありました。
それが「日本から卵のまま箱に入れられて流されるも、鵲に導かれ朝鮮で老婆に拾われ成長、月城(半月城)を築き新羅の王となり、死後東岳大帝(道教の神)として吐含山に祀られた」という「昔脱解伝説」でした。
東岳大帝は日本の陰陽道では泰山府君、「スサノオノミコト」でした。
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また吐含山は三韓征討で神功皇后が訪れた場所だったのです。
本日はありがとうございました。
神功皇后が三韓征討から戻るとすぐに生れたとされる応神天皇(弓矢八幡)。
その謎をつなぐものもまた「白鳥処女説話」でした。