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番外編『チ。』~読書レビュー~


魚豊さんの『チ。』を読んだ。ずっと読みたかったが、優先順位的に読みたい本もあったし、やりたいこともあったし、今になってしまった。

思い切るきっかけは、谷川嘉浩さんの『人生のレールを外れる衝動の見つけ方』を読んだことだった。

衝動を表すために『チ。』の引用が具に使われていて、今すぐ読みたいという衝動に駆られた。

衝動は他者の影響も受ける。野球部時代からずっと縁が続いている古谷キャプテンも丁度読みたいと思っており、一緒に読もうと共同でゲットした。これも追い風となった。

『チ。』の舞台は、15世紀のヨーロッパ。宗教の異端思想が弾圧されていた時代。そんな時代に異端とされる地動説を立証したいという衝動に駆られた人物たちの物語。

特に私が好きな人物がラファウだ。

チ。は地動説を1人で完成させるのでなく、死を決してまで複数の登場人物がその説を守り、伝え、発展させていく。たくさんの地動説継承者の中でも初めに出てくるラファウに惹かれるのは、なぜか?

理由としては、自分の中で一番、衝動を得る前と得た後の差分が大きいことが言えると思う。

ラファウは神童と称賛され、敷かれたレールを歩めば、順風満帆な人生を歩めただろう。さらに合理的で打算的。安全で裕福な暮らしもできただろうに、地動説と出会いレールを大きく外れた。これによって異端とされ、処刑される。(実際には自死する。)

客観的に見れば、なぜ死を選ぶのか?と疑問しか残らないだろう。しかし、ラファウは理性より直感を選んだ。地動説というこれまでの常識が180°転換するような説を解明したいという衝動に駆られたのだ。その生き方に憧れを感じる。

私は周りの空気を読み、人に言われたことに忠実に従う人間の部類にカテゴライズされる人間だろう。人は自分にないものを持っている人間に憧れを抱くというが、まさにそれだと思う。

「知が人や社会の役に立たなければいけないなんて発想はクソだ。」というセリフも痺れた。現代人は一見無駄だと思われることをやっている者に、「何の意味があるの?」と問うことが多いが、衝動に意味などないと思う。感じるままに思考し、動く。そのことがとんでもない変革をもたらすかもしれない。変革をもたらそうと意図して行うと、それは違う。直感的に、情熱的に衝動を見つけたら、流れに身を任せる。おそらく、歴史上の偉人たちは、他者の評価など全く相手にせず、自分の衝動のままに動いたから、偉人なのだろう。

偉人になろうとは思わないが、周りに目もくれず直向きにそれを追い続ける何かを見つけたい。すでに見つかっているかもしれない。

Don't think,Feel!







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