スルーされた景観 和歌浦片男波
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
万葉の歌人、山部赤人が、神亀元年(724年)に詠んだ和歌浦の片男波の景観です。かって、同じこの景観を見ながら、スルーした俳人がいました。
その俳人は、晩春に、和歌浦を訪れて、
行く春を 和歌の浦にて 追付たり
と詠み、また紀三井寺では、
みあぐれば さくらしもうて 紀三井寺
とも詠みました。 桜は散ってしまっていたようです。
紀三井寺は、最近はそうでもないですが、関西では最も早く桜が咲く標準木があることで知られています。しかし、この俳人は、万葉の頃から有名な片男波を詠まずに、和歌山を去りました。素晴らしい景観ですが、残念。
さて、その俳人は、江戸に戻り、翌年元禄2(1689)年、家を売り払って、東北への旅に出ました。途中、5月に松島の風景を見て、「(中国の名勝である)洞庭湖、西湖にもひけをとらない」だとか、「その気色えん然として美人の顔(かんばせ)を粧(よそお)ふ」と艶っぽい美女のようだとまで褒めちぎりながらも、ここでも詠まずに、旅を続けました。美しい景色とは思っているようですが、スルーしたのです。
そして1689年6月、みちのくの旅で、俳人は運命の景観と出会います。
俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
俳人は、雨に煙る象潟の中に、中国絶世の美女といわれる西施(せいし)を見たのです。 西施は癪の持病があり、胸を押さえて眉をしかめる姿が、かえって美しいと、村中の男達が殺到したそうで、それをまねした女性はひやかされたれたことから「西施の顰みにならう」ということが語ができたと言われています。2500年も語り伝えられる傾国の美女です。
俳人は松尾芭蕉ですが、僕は、「おくの細道」」の中で、この句が一番好きです。しかし、雨に煙る象潟の景観は、後の地殻変動で失われ、今は見られないようです。残念。
松尾芭蕉にスルーされた和歌浦の片男波ですが、景観自体が良くなかったとは、思えません。松島でも詠まなかったのです。芭蕉はどこか寂しい女性が好みだったのではなでしょうか。そして、そんな女性の面影のような景観を探して、日本中を旅していたのだと思います。