町興しと錦帯橋
みなさん、いつもよへいのno+eを読んでくださりありがとうございます。
山口は岩国市に錦帯橋という橋があります。日本3大奇橋の一つ。
山梨県大月市の猿橋、山口県岩国市の錦帯橋、富山県黒部市の愛本橋(現存しない)は、構造が珍しく奇橋と呼ばれているのですね。
錦川にかかる全長約200mの錦帯橋。
1674年に再建された橋は、1950年9月の台風29号による洪水で流失するまで276年間威容を保ちました。
現在の錦帯橋は1953年に再建されたもの。
今日は、先日訪れた錦帯橋の話をするのですが、
ネットに書いてある情報はほどほどに現地で聞いた話を書きますね。
錦帯橋は江戸の歩幅に合わせて作られている
これは錦川の遊覧船の船頭さんが教えてくれた話。
江戸の人は着物や袴をはいており、歩幅は狭かった。時代劇でよく見るあれですね。あの歩き方。その当時の歩幅に合わせた作りになっていて、現代人にとっては少し狭い。
錦帯橋の上り(下り)は階段状になっており、この一枚一枚の板幅が江戸当時の歩幅に合わせられているそうです。帰りはその狭い歩幅で歩き、江戸の人になりきってみた。
幅というより、高さなのかな!?足を上げずに歩ける感覚だった。
城側に渡れたのは武士だけ
こちらも船頭さんに聞いた話。錦帯橋を挟んだ岩国城側は当時役所などが置かれていたそう。錦帯橋を渡れたのは、通勤する武士だったとか。庶民は渡れず、いわゆる城下町は城の反対側。敷居の高い橋だったのですね。
槍こかし松
錦帯橋のすぐそばに松がある。
この松は槍倒し(こかし)松と言って、他藩の大名が城下を通過する際に、槍を倒させるための松。3万石の小藩である岩国藩。
大藩の行列では、小藩である岩国藩を見下して、槍を倒さずに通ることがあった。これに憤慨した岩国藩士たちが、槍を倒さなければ通れないようにするために植えたと伝えられる松。
この松自体は当時のではないらしいが、岩国藩の負けず嫌いを語る上で貴重な松なのである。
佐々木小次郎の秘技「燕返し」ゆかりの柳
錦川の河畔で風に揺れる柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交う燕を切り落とすことで編み出したと伝えられる「燕がえし」。
錦帯橋のすぐそばにあるこの柳を佐々木小次郎ゆかりのシンボルとしている。
桜開花標準木
岩国市の桜の開花標準木は錦帯橋のすぐ脇にあります。
人生で初めて開花標準木を見ました。岩国市の標準木が錦帯橋のすぐ脇にあるのがなんとも趣がある。
これは船頭さんの話。錦帯橋の桜は有名で見応えがあるらしい。
ネットで拾った画像だが上げる。次は桜の頃に来るのも一興かもしれない。
ソフトクリームの聖地
錦帯橋を岩国城側に渡ると、いくつかの店がある。むさし、長州屋、小次郎商店。そのどれも豊富なソフトクリームが並んでいる。むさしはなんと200種類あるそう。そこはまさにソフトクリームの聖地だ。
肝心のソフトクリーム写真を撮っていなかったので、借り物を。
30年前はお店がなかった
これは現地のお店のかたに聞いた話。
30年前まではお店はなかったらしい。錦帯橋を眺めて終わるか、渡ってすぐ引き返すか。
そんな観光客を喜ばせるために30年前に開店したのが、「佐々木屋小次郎商店」だ。
変わった名前なので尋ねてみた。
よへい「名前の由来はなんですか?」
店員「佐々木小次郎は岩国の出身。30年前ここには店がなかった。錦帯橋を盛り上げるために店を開いた。そのときに岩国にゆかりのある佐々木小次郎の名前を借りた。」そうだ。
続けて言う。
店員「宮島などには勝てないが、盛り上げたい」
この店だ。
小次郎に対抗したのだろう。この店の隣にあるのが、先程の写真の「むさし」だ。真相は聞けなかったが、おらく対抗意識だろう。そんなことを考えるのも楽しい。
まとめ
錦帯橋ツアーいかがでしたでしょうか。
ネットで見るのと、現地で感じるのはまるで違います。
しかも、現地の人に話を聞くとますます深まる。
秘話や裏話は現地でしか聞けない。これからも現地の声を聞きながら旅をしたい。そう感じた出来事だった。
みなさんもぜひお試しください。