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か、書けない。
「書こう」と思って、かれこれ30分くらい天井とにらめっこしています。
福岡の製造業リーマンよへいです。
今日の記事は大した学びはなく、思ったことをゆるっと書いた記事です。
わたくしよへい、今、書けずに悶々としています。
つい先日、偉そうにこんな記事を書いたばかりなのに。
恥ずかしい(*ノェノ)
せっかくの3連休。普段まとまった時間をあまり取れないので、「チャンス」と思ってパソコンの前に座ってから30分ほどが経過しました。
(何を書こうか)
色々思案してるんです。
・昨日𝕏に綴った出来事を掘り下げるか
・過去にあった人間関係や出来事か
・今やっている仕事のことや、これからのことか
・他の収入源のことか
・お酒での失敗の話か
・趣味やプライベートについてか
・最近読んだ本や今読んでいる本のことか
あれこれ想像してみるのですが、いまいち結論が浮かばない。
(ん~、どうしよっかなぁ)
と悩んでいると、ふと思ったんです。
(ん?書く必要あるのか?)
って。
あー、これもういっちゃってる。笑
でも、ちゃんと説明するので、もう少しお付き合いください。
書く必要あるか?って書くのを諦めようと思って話ではなく、
「なんのために書く?」をもう一度考え直そって思ったんです。
というのも、今こんな本を読んでいまして。
「悩まない人の考え方」
ここに「問題を問題でなくする」という思考法が書かれていて、
ざっくり一言でいうとリフレーミングなんですが、
「問題と思っていることは本当に問題なのか?」
を考え直すということです。
意味不明ですよね。書いてる自分もやや混乱しています。笑
例えば、今回の「書けない」という問題。
「書く」というのがゴールだとすると、その道程となる「どんなことを書くか」は、”実は”なんでもいい。
にもかかわらず、スタート地点に立っている私は今こう考えています。
「いいことを書かなくちゃ」
「なにか学びを書かなくちゃ」
「読んでもらえることを書かなくちゃ」
道のむこうにある「書く」というゴールフラッグに向かっているのに、その道を自分で勝手に絞ってしまっているんですね。
その道はもう、道というよりもはや森ですよね。
自ら森の中に突っ込んで、「ゴールが見えませ~ん」って。アホなんかな。
でもどうしてわざわざ森に突っ込むのか?
それは、学びを求められていると”思い込んでいる”から。
「ほら森にはこんな学びがあったよ!」
「やばいのおったよ!」
「こうやったら回避できたよ!」
「みんなも気をつけて!」
って。
でも、「私、森に行かないので」って言われたらおしまい。笑
noteでも似たようなことはちゃんと起きていて、誰もが「学びたい」と思っているわけではなく、
「ちょっと癒やされたい」
とか
「ちょっと笑顔になりたい」
とか
「なんとなくあの人の雰囲気に触れていたい」
とか
「優しい気持ちになりたい」
とか
「落ち着かせてほしい」
とか。
なんていうのか、アドレナリンがバンバンでるような記事よりも、どちらかというと、セロトニンとかオキシトシンとか副交感に働くような記事を求めるケースのほうが多いと思ったんです。
え~っと、なんの話でしたっけ?慣れないカタカタ使って迷子になりました。
そうそう、「書けない」って話です。笑
つまり、「書けない」のではなく、自分自身で「書く道を閉ざしてしまっている」ということだと思ったんです。
学びや気づきのある記事が求められていると自分で決めつけて道を閉ざしてしまっている。
本当はもっと穏やかで緩やかな道もあるのに。
というか、むしろそういう記事を求められているかもしれないのに。
そう考えると、気持ちが急に楽になって視界がひらけてきて、ここまで1500文字、書くことができました。
ものすごくゆるっとした話でしたが、「思い込みはダメよ」そんな話でした。
もし「書けない」と思ったら、「自分自身で道を狭めていないかな?」ってこの記事を思い出してみるのもいいかもしれないですね(*´∀`*)
最後までお読みいただきありがとうございました(*´ω`*)
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