死神
木曜日。一週間で最も憂鬱な日。週末まであと一歩だがあと一歩を踏み出す力がどうしても残っていない。
目くるめく毎日が僕を襲い続け、連日の早起きに体はついていくが心が蝕まれていた。半年前から続いている不眠症の影響だった。
僕が生まれたのは小さな田舎の町だ。生活圏はママチャリでの移動で済んでしまうほど小さな町だ。数少ない娯楽はだだっ広い公園とスーパーの二階にある寂れたゲームセンターだけであった。セガもブックオフも潰れたこの町に似つかわしくない西洋風の外見をした家で僕は育った。真っ青な壁紙に囲まれた六畳の部屋、それが僕の聖域だ。僕の人生の酸いも甘いも詰まったこの部屋だけが癒しであり、独房でもあった。
僕は神様に嫌われていた。ありとあらゆる救世主に銃口を向けられていた。
来年大学受験を控えている僕は人生の進むべき先を決めかねていた。育ちのせいにするわけではないがインターネットが発達し世界中の情報が手に入る現代で僕が見られる世界はあまりにも狭かったからだ。心躍る出来事もなくただ繰り返される生活、記憶の端にギリギリのところで引っかかっている顔がぼやけた同級生のゴシップが食卓に並ぶこの世界で僕は言い知れぬ無力感に日々押しつぶされていた。興味があることがないわけではなかったが陸の孤島のようなこの町では実現までのハードルが高く理由をつけては諦めていた。登下校の車窓から見えるうっそうと茂った森と頑丈そうな木々がいやに目につく日々が続いていた。
いじめられていたわけではなかった。むしろ学校には友達が沢山いてよく笑っていた。友達と笑いあっている時は自分の存在を強く感じられた。そんな日常が好きであった一方、できないことが多くフラストレーションが溜まっていた。くだらない校則による服装、髪型、生活態度の制限、日々積み重なっていく新しい勉強の数々、それをうまくこなせない自分にうんざりしていた。恵まれた環境の中で生まれる飢えの矛先を決められないでいたのだ。
不眠症になると全てが、あらゆる出来事が遠くに感じる。楽しいこと、おもしろいこと、悲しいこと、腹が立つこと、全てがコピーのコピーのコピーのような掠れた現実となっていく。何一つ触れることができずに手のひらから、脳から零れ落ちていき、何一つ僕に触れることはできない。そこに思春期の情緒不安定がアシストを決めて、学校が終わって家に着くころには情緒が皮むきに失敗したアボカドみたいにぐちゃぐちゃになっていた。
木曜日。夕方。開けた窓から庭の金木犀が僕を包んだ木曜日、僕の情緒は不安定を超えてついに崩れ去った。学校の課題を途中で放り出し、ベッドに横になって少し目を瞑ると外は暗くなっていた。窓を閉めた。もう僕を包むものは何もなかった。
頭がぼーっとする。何もかもが無意味に思えた。生活も将来も過去も。つけたまま放置したゲーム画面で操作していた主人公が壁に走り続けるように僕の体は動き出していた。
カートコバーンPOV。
皺を伸ばすためにきっちりハンガーにかけた制服のズボンからベルトを抜き取った僕はそれを首に巻いた。コルセットを締めるように力を込めてベルトを縮めていった。首がしまった。顔が熱くなるのを感じた。少し体がしびれていった。顔から血が引くのを感じた。呼吸が浅い、視界がぼやける、そこで変化は止まった。
戻ってきた男がコントローラーを握った。壁に向かって走るのをやめた。
そこからどうしたかは覚えていない。覚えているのはそれすら実現できなかった自分の無力さと思い付きで実現するほど現実甘くないという学びだけだ。
あの時僕を操作していたものを僕は死神と呼んでいる。処理しきれない現実が立ちはだかった時、普段恐れているそれはどうしようもなく優しいもののように思える。僕だけが取れる選択、解放、カタルシス。浜辺の波のような優しい手招き。
暗闇のようなそれは全てを包み込む。残酷にそして穏やかに、僕に寄り添っている。