シケモク亭 灰皿。
小話まとめ。
Instagramの投稿、その補足。
ポエムポエマーポエメスト。
散歩の過程。 載せていきたい。
学生時代の同級生に嘘ばかりつくやつがいた。名前は新井輝。輝きと書いて『てる』と読む男だ。自己紹介から嘘をつくような奴だ。 「はじめまして新井輝です。てる君って呼ばれてました。犬を飼っています。セントバーナードです。」 犬好きの俺は休み時間に彼に話しかけた。犬なんて飼っていなかった。彼曰く、犬好きで犬種まで言った後話しかけてくるような奴に悪い奴はいないのだそう。俺は映画の悪役が飼ってるピットブルとか強そうな闘犬が好きだからそうとも限らない気がするが黙っておいた。 そこ
木曜日。一週間で最も憂鬱な日。週末まであと一歩だがあと一歩を踏み出す力がどうしても残っていない。 目くるめく毎日が僕を襲い続け、連日の早起きに体はついていくが心が蝕まれていた。半年前から続いている不眠症の影響だった。 僕が生まれたのは小さな田舎の町だ。生活圏はママチャリでの移動で済んでしまうほど小さな町だ。数少ない娯楽はだだっ広い公園とスーパーの二階にある寂れたゲームセンターだけであった。セガもブックオフも潰れたこの町に似つかわしくない西洋風の外見をした家で僕は育った。
渋谷。栄枯盛衰の街。ジャケットを一枚羽織る季節に俺はその街にいた。時代の中心地であるそこは駅前があまりにも臭すぎる。ビル風一つ吹きやしない。サクラダファミリアよりも終わらなそうな工事の騒音を聞きながら街を小さくみせる大きな石の頭の前で人を待っていた。 「久しぶり。」 三つ揃った小さな頭を並べて二十四時間中継されている交差点を渡った。両脇に身長差を感じながら少し低い位置にあるその頭を見失わないように先へと足を進めた。途中のCDショップにはでかでかと面の良い人間が張り出され
2023年4月15日、海辺を歩いていた。 工業地帯であるその人口の入江には太平洋から訪れたかの国のタンカーが停まっている。 地球における時間には時差と呼ばれるものがある。習った頃からいまいち感覚として理解できない。地球を割るように引かれた子午線たち。球体である地球に日が当たらない部分ができるのだから各国で時間が違うことは当然だが、実際に子午線をまたいだ時に何か変化があるかといわれるとそんなことはないだろう。 四六時中凪いでいるその入り江を歩いている時それに出会った。
Hey,Girl. She is a single eye. 寄り道しなって Suchmos GIRL feat.呂布 ニキビ跡が消えないので皮膚科に行こうと自転車を漕ぎ出した日だった。20分ほどで到着した目的地には全日予約制の文字が掛軸のようにでかでかと張り出されていた。 なんだか悔しかったのでもっと自転車を漕いで夕陽を見にいくことにした。次なる目的地は船橋三番瀬公園だ。潮干狩りスポットであるため平らな海岸と見晴らしを誇るそこは、東京の摩天楼に沈んでいく夕陽を見るには
東京都は江東区、東京ビッグサイト臨時駐車場付近から見える謎のベンチプレス一式。初めての出会いは数年前に遡る。 世界的パンデミックにより行動制限を余儀なくされた私に訪れたのは外界と関わることへの億劫さとそれに裏打ちされた妙な不安感であった。 人間というのはよく出来ているもので、自らの精神の不安定さを観測すると太陽を、食事を、運動を求め、新鮮な脳をお届けしようとする。 散歩。それはその全てを兼ね備えた行為であったし、これほど当時の私にうってつけのリハビリはなかった。 あて
眠れない日は冷たい海の底に沈んでいく想像をするんだ。 私はどうやら海ってやつが好きらしい。海がない土地で生まれ育った故の憧れなのか、よくいうリラックス効果があるからなのかは定かではないが、精神的に疲れてくると自然と海を見に行く習慣が身についていた。 波打ち際では何もしない。二時間、三時間とただただ時間を過ごす。座り始めてから少し時間が経つと内に秘めた禅の精神がひょっこり顔を出す。 そうして波を眺めていると、一瞬にも満たない時間で姿を変えていく酷く鋭角な水面が徐々に手招
尻、臀(しり、英: buttocks)とは、一般に四足動物(特に哺乳類)における胴の後方(ヒトのような直立動物においては下後方)、肛門周囲の部位のこと臀部(でんぶ)。 Wikipediaより引用 ペルソナとは、自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。 Wikipediaより引用 21歳の夜、なんとなく受けていたWEB合同説明会での出来事だった。
何度目だろうか。いやに湿度の高いこの季節は日差しがないだけで夜も暑いことに変わりはない。するとどうなるのか、冷たいものを口にして涼もうとする者もいれば、心の底から涼もうとする者もいる。 心霊スポットに来るのは往々にして若者である。若気のノリというのはすさまじいもので何よりも儚いものだ。蛙や虫を幼いころに触れたが、今は触れないのと同じ儚さがある。ノリさえあれば恐怖すら楽しめる。 そこで考えた。嘘の噂話を流すんだ。 我ながら素晴らしいアイディアである。大学生と言うの
フロントガラスから見える遠くの空は夕日で真っ赤に染まっている。音楽もない、新車のシートの匂いが残る車内で私はアクセルを踏み込む。 助手席のお前は言う。「死ぬ前にやりたいことはなんだ?」 私はすぐに答えることができない。 お前は言う、「アクセルを踏め。もっとだ。」 私は強く踏み込む。スピードメーターの針が投石機のように回る。 お前は言う。「死ぬ前にやりたいことはなんだ?」 私はすぐに答えることができない。 お前は言う。「アクセルを踏め。遠慮はいらない。」 私は強く踏み込む。
中学生の頃だった。田舎の中学校は自転車通学が一般的で、安全面からヘルメットの着用が厳しく取り締まられていた。もう1つ田舎の中学校は縦社会であるため最高学年にもなるとこぞって調子に乗り出すこともあり、多くの生徒はヘルメットをかぶらなかった。 だが私は頑なにかぶり続けた。黄色い風となって街を花粉が覆った日も、燦燦と太陽が輝いていた日も、薄っすらと金木犀が香っていた日も、カナダくらい雪が降った日も、3年間頑なにヘルメットをかぶり続けた。 遡ると1年生のある日に心当たりがある。
俺の家は複数の路線が通っている駅から4キロほど先に位置している。 必要な路線に乗るために自転車を駆り出し、道程を辿っていた春の良き日にそれに出会った。家を出て団地の角にある交番を左折したのちひたすらまっすぐ進むと駅が見えてくる。その十字路で信号待ちをしていた時だ。一車線のその道の右側の歩道にママチャリに乗ったおばさんがいた。俺と同じように信号待ちをしていた彼女の自転車は使い込まれた鈍い輝きを放つボディで、前方だけでなく荷台にもかごがついていた。おばさんと自転車の貫禄に感
月明かりに照らされたその眼は深い藍色だった。ちょうど太平洋のような青だった。 彼女は青色が好きだった。 「青は落ち着くじゃない。」 そういってサファイアのような色をした財布を取り出してコーヒーを買った。 彼女はよく海を見に出かけていた。 「空も海も青。視界が全部青。」 そう言って彼女はターコイズのような色をした携帯を取り出して写真を撮っていた。 彼女はよく絵を描いていた。 「夜空を書くのは楽しいよ。大好きな青で一面を染められるから。」 そう言って彼女はタンザ
「夏も中盤に差し掛かってきたことだし、せっかくの飲み会だ。まぁ、俺が怖い話をしてやろう。」 「あれは5年前、まだ高校生だった頃の話だ。中学からの友達3人と夏休みに地元で有名な心霊スポットに行ったんだ。田んぼ道を抜けた先に山を抜けるための小さなトンネルがあってね。事故で死んだ女の霊がでるとか、天上から逆さまのおっさんが急に現れるとか色々噂はあったけど、掘るだけ掘られて使われてない場所だったからみんな信じてなかったんだよ。だから、毎年夏になると年頃の奴らは肝試しに行くのが伝統みた
「ただいまー」 ソファにどっしりと腰掛ける”それ”にかけた言葉はおかえりの代わりに部屋に吸い込まれた。木製の”それ”は今朝そうしたように首を玄関に向けていた。 目のないそれの視線を背中に受けながら手を洗った。風呂場に入り、風呂のお湯を溜め始めた。部屋へ向かう途中の冷蔵庫から瓶のジンジャエールを取り出し栓を抜いて、”それ”の前にあるテーブルに置いた。スーツを脱いでジャケットとパンツをハンガーにかけてファブった。大袈裟にすると逆に臭いので湯引きのようにファブった。シャツと
うだるような暑さ。カエルすらミイラになる日差しの中、野良猫はどこにいるのだろうか。 どうやって暑さを凌いでいるのだろうか。 昼間牛乳を買いに外に出たら古民家の下から出てくるのを見た。一切日が当たらずにひんやりしている場所に日中はいるんだろう。 夜中に風を感じるために外に出たらそこら中に猫が転がっていた。地球の半分が日陰になる夜は地面が気持ちいいのだろう 長く短い命、長く短い夏。