凡人の独りよがりなアカウントのリアル~175/365~
本メモはアカウント投稿に関する日記です。
詳しくは0日目をご覧ください。
はじめに
今日は先日購入した色々な漫画の1巻を読んでいく。
そうすると、エピソードの流れやキャラが立つとはどんな感じかと、そこに込められている想いが重要だと感じた。
また、必要とされることとしてはセリフと絵を合わせて1コマの情報量を少なくすることが大事だと知った。
物語が進むにつれて1コマの情報量が少なくなっているというのは、これが最適だと著者の方が修正した証なのではないか。
もし自分だったら、セリフも絵も詰め込みたくなってしまうのだが、それが抑えられることによって、自分が気持ちよく読めている。
本当に漫画や映画ではセリフは最小限でいいのかもしれない。
文章の物語もそうなのかもしれない。
自分が文章で物語を作る際は、セリフ数を少なく動的にして、それ以外の描写を()でくくることで、今後につながるかもしれないと感じた。
物語の第2章を進めていく。
物語を作ることで気づくことも多い。
消費者マインドのまま生きないことが大事だと気づく。
要は思考に余裕を作るということである。
カネ・時間・心についての思考に余裕を作るということである。
ここで、消費者マインドとは資本主義によって生まれたのか?と考えるが実はそうではないと気づく。
消費者マインドは資本主義で増加しただけで、元々人間が持っているものだ。
資本主義でも資本主義でなくても、他人に何かしてもらいたい・他人が何とかしてくれるというマインドが存在する。
そのマインドしか持てない人間は資本主義社会でも資本主義以外の社会でも他人のせいにして不満をたらたらと流し続けている。
そして資本主義が悪いと言いつつ、資本主義以外での社会でも、予想通り他人のせいにして不満をたらたらと流し続けている。
今まで消費者マインドのまま生きないようにと言われて仕事などで生きてきたが、どうしても、身にまとわりつく程度だった。
物語の創作で身にしみてきた感じがある。
面白くない世界なら、自分で面白くするしかない。
高杉晋作の短歌はまさにこれを言っているのではないか。
自分を満たせるのは自分しかいない。
誰か面白いもの作れるやついないのかという頭の良さそうな発言は、頭の悪いことが表れているに過ぎない。
これに気づく。
消費者マインドの人間は、他人の人生の野次馬にしかなれない。
そんな野次馬の言葉や行動には中身がないので、気にしなくてもいいのではないか。
クリエイターの方が、野次馬の言葉は気にしないと言っていたり、そういう歌詞の曲があったり、自分がそういう曲が好きなのは、これが根底に流れているのではないか。
上司に『敵とは自分が勝手に作ってしまうもの、そもそも敵として認識できる人間なんてほとんどいない』と言われたことを思い出した。
敵を作らないことは大事だが、ほとんどの人間は敵でも味方でもない、土俵に立っていない野次馬でしかない。
現代の資本主義・現代におけるリスクを取ることは、土俵に立って野次馬からカネが流れてきて野次馬に返す循環だと感じた。
今起きている時代の変化や次の時代を考えていく。
野次馬が機能しなくなる時代になる、だから野次馬は捨てられて社会に宙ぶらりんになっていく。
みんなが仕事というものにカネが支払われなくなっていく。
カネのためのアートは機能しなくなる。
治安も機能しなくなる。
そして消費者マインドの楽したい人間・楽してきた人間が犯罪に走り始める。
その成れの果てとして戦争に走り始める。国を守るとか言い訳し始める。
命を奪う言い訳って必要なのか?
結局は、消費者マインド・犯罪マインド・戦争マインドは一緒で、他人の命や時間を安く見積もっているだけだ。
『人間の命なんて安いもので、自分もそういう扱いを受けてるから、いいでしょ』という言い訳が見える。
悲惨だ。
人間の本質がそこにしかなさそうであれば、戦争が起きた時に逃れる場所を地下に作るしかない。
そこに情報通信を流して、ずっと物語を作り続けれるような環境を整えたい。
それか、情報通信がなくても物語を作れるようなフローなどをまとめて、いざという時に印刷して持っていこう。
そのために今できることを逆算してやっていく。
戦争は、時代の移り変わりで機能しなくなる人間が増えて、しんどいってなって、次の時代が生まれてしんどくないってなるまでの時間稼ぎなのではないか。
ほぼ原罪と終末論だな。
これに気づかせていただけるアート・漫画・音楽に感謝をする。
ありがとうございます。
これを子供に感じてもらえるように何かを残していこう。
作品というよりかは、この日記と作品を通じて感じてもらえるものがあればいい。
自費で日本語と英語で最終的なアウトプットを作っていこう。
たくさんの子供と関わるのがいいな。
年だけとって何も考えていない大人は救いようがないのであまり気にしない。
尊重はするし、悪いとも思わないけど、自分の世界の外で幸せになったり不幸になったりしてほしい。
何もせずに放っておく。
そうすると、大人にアプローチしたいと思っていた2つのアカウントは無駄だと気づく。
大人に仲間など見つからない
子供にという方向転換が必要だ。
逆算して求めた50,000人という人数は意味をなさないと気づく。
ここで、時代の流れとして、子供は電子系に触れれる制限がかかる可能性と電子が機能しない可能性を考慮する。
すると、一周回って紙の可能性も十分にある。
どちらかがいいみたいな思想がいかに無駄か気づく。
それはリソースが足りないだけだ、思考に余裕がないだけだ。
そうしてまた、結局紙がいいよねみたいな論争が20年後に生まれる。
感謝として画像を残して、それを見る人間が何人くらいかを記録としてとっておこう。
人間のリソースない地獄については今思う成れの果てと自分ができることまで書き切った気がする。
これからは意外と、モノが沢山あってモノを沢山作れる環境の中で、生産者マインドの人間だけで物々交換をして沢山モノを使える世界になるのかもしれない。
モノが少なければ情報で補う。
今はそれができる。
カネと投資のあり方が変わると感じた。必要性は変わらない。
❶メモアカウント 197人→197人
11月2週3週まで、一旦休む。
来週からアップデートを再開していく。
大人にアプローチしたいと思っていた2つのアカウントは無駄だと気づく。
大人に仲間など見つからない
子供にという方向転換が必要だ。
逆算して求めた50,000人という人数は意味をなさないと気づく。
とりあえず、感謝として画像を残して、それを見る人間が何人くらいかを記録としてとっておこう。
❷美女アカウント 112人→112人
11月2週3週まで、一旦休む。
来週から創作を再開していく。
大人にアプローチしたいと思っていた2つのアカウントは無駄だと気づく。
大人に仲間など見つからない
子供にという方向転換が必要だ。
逆算して求めた50,000人という人数は意味をなさないと気づく。
とりあえず、感謝として画像を残して、それを見る人間が何人くらいかを記録としてとっておこう。
おわりに
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
これからも見てくださる方は、また明日。
ご検討いただきありがとうございます🙏お礼や用途については改めて日記でお伝えできればと思います