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待つことの意味―Waiting is the hardest thing, but….
私は待つことが苦手だ。正確にいうと、待たされることに対する許容度がかなり低い。
年齢とともに忍耐強さがなくなってきたといえば、それまでだが、”Time is Money”(時は金なり) という感覚が昔から強かった。(「時間は待ってくれないよ」と子供の時から言われて育った)
「待つ」という行為でその貴重な時間(つまり金も)が奪われてしまうのではないか。
そう考えると、不意に待たされること、何かを、そして誰かを待つことが耐えられなくなってしまう。
例えば、電車の遅延や予約したのに届かない宅配、なかなか来ないメールの返信――そういうシチュエーションは結構ある。突然動作が遅くなったコピー機やパソコンにさえ、イラつく私。
他の人からみたら「何をそんなにあくせくしているの?」と思われるかもしれない。待ち時間をもっと効率的に使えば良いだけの気もする。「短気は損気」という言葉もあるし。
そんな些細なことすら許容できない狭量な自分だが、インターネットで検索していたら、哲学者で大阪大学名誉教授の鷲田清一氏が2009年に京都府保険医協会の記念講演会で「待つことの意味」についてお話されていた内容に感慨深い気持ちになった。鷲田氏はその3年前に『「待つ」ということ』(角川選書)という著作を出版されている。
お話しされていたことで、以下の内容が心に響いた。
・「待つ」ということは、自分の望む何かが手に入らないことを不愉快に思っていること。
・そして「期待して待つ」とそのことで意識が覆われてしまい、空回りし出し、余裕がなくなる。その結果、視野がどんどん狭くなっていくこと。→まさに今の私。
・必要なのは、「望む何か」を手放し、そのことについて思い悩むのをやめ、「いま何をすべきか」だけを考えて実行すること。→その通り。
・「待つ」という気持ちを抑え込んで、それでもなおかつ期待しないで待つ――幾度となく繰り返される断念の中で手放すことなくいること――というのが本当の「待つ」ということ。
未熟な私が、「待つこと」の本当の意味を悟った、とはまだ言い難いが、心に留めたいと思う。