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ある種致命的な欠陥とは
僕の尊敬する詩人、平出隆は「日本にいながら、なぜ自分がこの土地において、この国語において、ある種致命的な欠落を抱えつづけるか、ということを、僕は考えないでいられなくなっていた。」と綴っています。
そのセンテンスが脳に浸透すると、時計の針が止まり、エアコンから流れる生温い風は突然重力を持ち、その固い物体のような時間は僕の身体にのめり込んできました。「物を書くこと」を知らないのだということを知りました。しかし、物書きでなかったことにショックを受けたというよりは、今自分が何かの袋小路に迷い込んでいると思い当たった事実に脂汗をかいたのでした。
ある種の能力というものは、喪失感を感じることやそういった感受性を養い、挫折と和解と克服の反復運動によってのみ、その鮮やかな花弁を、陽射しの下に現すことができます。本質や意味につまずいて怪我をしてしまうこともありますが、能力を育む良い機会と受け取れば何の問題もありません。ただ今回のように気づかぬうちに迷路に入ってしまうのは危険だと反省。