2000万人の犠牲 愛国者学園物語 第246話
美鈴は付け加えた。
それはあるNHKの特集番組についてで、旧日本軍の兵士のうち、戦場で精神疾患を患った(わずらった)者たちを題材にした番組だった。それは8000人の実例で、彼らは病院に収容され治療を受けたのだが、彼らの中には戦後も病院で過ごすことを強いられ、故郷にも家族の元にも帰れなかった者たちがいたのだ。
彼らの多くは農村の出身で穏やかな性格で真面目であったが、軍に招集され、厳しい訓練を受けさせられ、上官には暴力を振るわれていたのだ。それに加えて、
戦場での過酷な体験が彼らの心身を蝕んでいた
(むしばんで)いたことが明らかになった。
美鈴はここまで話してから、まとめた。強矢さんたちは、軍隊の英雄的な面ばかりを見ており、現実の匂いがしない。現実には、戦争で兵士たちは心身ともに疲労し、飢えて死んだ者も多い。
そういう現実を無視して、軍隊を賛美することが、愛国心なのだろうか。
そして、さらに重要な事実を付け加えた。
「強矢(すねや)さんは、大日本帝国が東南アジアを植民地化から救ったと言いますけど、それはおかしいんじゃないですか。もし、旧日本軍が英雄ならば、各国で大日本帝国や旧日本軍に感謝する記念日がありイベントが大々的に行われているはず。
「日本に感謝する祝日」
があっても良さそうなものです。
でも、そう言うイベントの話は聞いたことがない。あるいは、旧日本軍兵士が国を救った英雄として尊敬されているはず。それならば、彼らを主人公にした映画だとか文学があるはずですけど、そういう映画の話は聞いたことがありませんね。日本のマスコミも見逃さないはずだけど。強矢さん、どう思います?」
美鈴は意地悪く聞いた。
強矢はその質問が嫌そうな顔をして、
「それは美鈴さんが知らないだけじゃないんですか」
と答えた。
「
それにもし本当に共栄圏が出来ていたら
、日本社会には東南アジアの文化が広まっているはずです。向こうの民族音楽がふんだんに楽しめるとか、向こうの言葉を話せる日本人が少なからずいるとか、向こうのお菓子が日本社会に馴染んで(なじんで)いるとか。でも、そんなものないじゃないですか。日本の主要出版社は欧米の文学だけに注目して、東南アジアの文学の本なんて、出してません。中国の古典が少しあるだけで、東南アジアやインドの小説がない。それはおかしいわ。もし大東亜共栄圏があったのなら、日本に東南アジアや中国の文化がもっと広まってもいいでしょうに」
美鈴は続けた。1988年に公開されたアニメ映画「AKIRA」では、芸能山城組という集団が音楽を担当している。彼らはインドネシアの楽器ガムランやジェゴグを取り入れた音楽を生み出したのだが、もし日本が本当に東南アジアと共に栄えていたら、そういう民族音楽が日本で普通に鑑賞出来るはずだ。レストランで東南アジア料理を食べながら、そういう音楽や舞踊を楽しめたかもしれない。だが、今の日本社会でそれが極めて珍しいのは、日本に東南アジアの文化が根付いていない証拠であり、大東亜共栄圏が形だけ、口先だけだったことの証拠ではないか。大東亜共栄圏なんて共栄ではない。日本を頂点とした植民地体制であり、あなたはそれを賛美するのか。
美鈴は話し続けたが、吉沢が反撃した。
「じゃあ、東南アジア諸国に、旧日本軍を讃える(たたえる)映画やテレビドラマがないことを証明してもらいたい」
「ないことですか?」
美鈴はスキを突かれた。
「そう、ないこと」
美鈴の様子を見て、吉沢の笑いが止まらない。
「そんなことを証明しろだなんて」
「ほら、証明出来ないんだ。出来もしないことを言わないほうがいいよ」
吉沢が本音をもらした。
「証明なんかする必要はないですよ」
根津の言葉が、吉沢たちの優位を崩した。
「そんなことを証明する必要はない」
「なんだと!」
「もしそういう映画などがあるんだったら、ホライズンのアンテナに引っかかるはず。ないのなら、まず存在しないんでしょう」
「そんな大ざっぱな証明が役に立つか!」
「馬鹿げたことを証明するためにエネルギーを割くことがおかしい。そうは思いませんか。もっと建設的な議論をしましょうよ」
「なにが建設的な議論だ? 日本のためにその命を捧げてくださった軍人こそ賞賛に値する。そして、彼らを軍神として祀り、その偉業を後世に伝えるのが、我々、日本人至上主義者だ」
美鈴も反撃した。
「その偉業とやらは、日本人310万人の犠牲と、2000万人のアジア人の犠牲と、広島、長崎、それに沖縄の犠牲の上に成り立っている。あなたたちは、犠牲者たちに申し訳ないという気持ちを感じないのですか?」
吉沢が残酷に微笑んだ。
「その2000万人の犠牲という数字、どこから出してきたの?」
彼は穏やかにそれを聞いたが、美鈴にはそれが自分を馬鹿にしている質問に思えた。
「そうですよ! 反日勢力のプロパガンダですよ」
強矢が師匠を援護射撃した。
美鈴は、これから来るものを意識しながら答えた。
「それは日本共産党の推計です。太平洋戦争における軍民の犠牲者の総数ですけど、それが何か?」
「
そんな数字を信じられるか。共産党の主張なんて、信用出来ない」
「そうですよ、共産党ですよ。美鈴さんはああいう連中とつながりがあるんですか」
強矢が、まるで美鈴を汚らしい物のように言った。