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2021/08/24

昨夜2時半までYouTubeを見ていたせいで、今朝は11時に起床した。
さすがに寝過ぎだ。
何もない日の午前中に、ここまで寝てしまうともったいない気がして、気分が沈む。
おまけにこうも寝た日は頭痛がひどい。
慌てて身体を起こして朝食をかきこんだが、そもそも今日の午前中に予定はない。
ただ朝の支度を急ピッチで終えるだけとなった。
暇を持て余した私は、頭痛薬を買っておかなかったことを後悔しながら、昨日の続きを見始める。
昨夜も今日も内容はあまり覚えていない。
やはり夜は寝たほうがいい。
私に夜更かしは向いていない。
そんなことを日付が変わるときに書いていてはダメなのだが。


15時。
私はバイト上がりの友人と合流し、都心部へと地下鉄で向かった。
ゼミで読むように言われた本がどこを探してもなく、しかたなく大きな本屋で探すことになり、それに付き合ってもらう形だ。
電車に揺られながら、私たちは今日発表された大学の成績について話をした。
なんとかお互い無傷で突破できたようだ。(私は春の間に諦めた英語が落単確定なのを除いてだが。)
友人は沖縄旅行を計画していたが、完全に流れて相当落ち込んでいた。
落ち込みすぎて机をたたき、当たり所が悪く手首を怪我したらしい。
絆創膏を見せながら笑っていた。
私も笑っていたけれど、その裏で「私の周りって物に当たる人が多いのかも?」と思っていた。

父親は怒るとグラスをたたきつけて割った。
目の前の友人はやり場のない虚しさから机を叩いた。
別の友人は生徒会に当選できずに壁を殴って出血していた。
かくいう私も、アンガーマネジメントが苦手だ。
物にこそ滅多なことが無い限り当たらないが、すぐに心のバランスを崩すのは確かだ。(中2の時、何もかも嫌になってタンスをカッターナイフで切ったことがあった。もちろん後でこっぴどく叱られた。思い返せばあれが唯一物に当たった記憶かな。そのタンスは今も現役。)
「心のバランスを崩した状態で人とかかわること。それは人に当たってしまうことを意味するんじゃない?」
自分にそう問いかけた。

客観的に言って、私は精神的な余裕がいつもなかった。

1か月ほど前まで、ともすれば日記を書くまでは本当の意味での余裕がなかった気がする。
でも今は生きていることがめちゃくちゃ楽しい。
落ち込んだり悩んだりする時間はほとんどない。
けれど、それがずっと続くわけじゃない。
余裕のない時にこそ、人の本性は現れるもの。
「周りがこうなのは、私がこうだからなんだよね。気を付けなきゃな。」
笑う友人の横で、1人で反省していた。
「気づけたなら、もう同じ間違いをしちゃいけないよ。頑張ろう。」
そう自分に言い聞かせた。
高2から徐々に失った「自分」を、大事な友人との永訣をきっかけにようやく取り戻せるかもしれないんだ。
内容は詳しく覚えていないけれど、ライトニングに前に進む元気をもらったのは確からしかった。

最近のお互いの話をしながら (とはいっても、ほぼ毎日LINEのやり取りはあるし、先週に一度会っているのだが。) 歩くこと30分、本屋に到着した。
雨を見越して買っていたビニール傘が思っていたより優秀で、私は肩が濡れなかったことに喜んだ。
折り畳み傘をたたむのに苦戦する友人を連れて、私は6Fへと上がった。(この辺りで最も大きな本屋で、ビル?一つがまるごと本屋になっている。私はここが受験期にも通い詰めたほどお気に入りだ。)
目当ての本はすぐに見つかったが、全ての棚を見る勢いで本屋を歩き回った。
哲学、料理、心理学、エッセイ、数学、日本文学。
どれも惹かれるものばかりで、それらの前でいちいち足を止めては喋りまくるため、1人なら10分で済んだ買い物に2時間ほど使っていた。
本屋は興味を引くものが多すぎて困る。
読む時間がなかったり、体力が無かったりで結局インテリアになるとわかっていても欲しくなり、その欲を抑えるのが大変だ。
結局私は前から欲しかったエッセイを発見してしまい、3200円ですんだ出費を5000円にしてしまった。

2Fまで下りてきてもまだ話し込む私の目に、きれいな表紙の本が飛び込んできた。
「こういう本って危険だよね。表紙で買っちゃうと読まなかったり。」
「わかる~。綺麗な絵だね。こういうの好きだわ。」
「ね。こういう絵を見たときって、言葉にして説明するの難しい感情がこみあげてくるんだよね。」
「そういうのを『エモい』って言うんだぜ。」
「私『エモい』嫌いなんだよね~笑」
「そうなんだ笑 あ~そういえば言ってたね笑」

なんとなく「エモい」と言ってしまうと、その感情の解像度が下がってしまい、一部分が死んでしまう気がするのである。
けれど、夕日を見たときのあの形容しがたい感情を「エモい」で片づけるのは嫌がるのに「ノスタルジー」で片づけるのは良しとすることに自家撞着も感じる。
あの表紙を見たときに抱いたのはきっとこんな感情なんだと思う。
あの絵の世界はたまらなく素敵でずっと見てられる。(もちろん実際にそんなことはできないが。)
けれど絵故にそこに行くことはできない。
その絵の世界に対する憧憬の念と、それに触れることは叶わないという悲しみが入り混じった感情。
結局言葉は不完全で、感情とかいう曖昧なものを正確に伝えることはできないのかもしれない。
それでも私は「エモい」のような広すぎる意味を持つ言葉をなるべく使わずに、頑張って言葉にしていきたい。

「今日の日記に書くわこれ。」
「よかったじゃん。」
というわけで、「ヤバい」を日常的に使う私の「エモい」に対する考えをここに残しておこう。

その後、ラーメン屋に立ち寄った。
金欠を自称する友人はトッピングの類を極限まで削ったラーメンを注文した。
私は懐が寒いのに「人気No.1!」に乗せられて1000円オーバーのラーメンを頼んだ。
頭の中で別の友人が「人気No.1は利率もNo.1なんだぞ!」と言ってきた。
私はそれに「だから何?お店の利率は私の『食べたいものが食べられる』幸福には関係ないかな。」と返した。
私のメニューには卵がついてきた。
しかし味玉がラーメンにのっていたわけではなく、別皿に殻のついた白い卵がのっていたのである。
「卵割るから応援してて。」
「分かった......。そんなに緊張する?笑」
「するの!......あれ?あ~これは失敗かな?」
「お???」
「ん?あ!これゆで卵だ!しかも固ゆで笑」

今日一番恥ずかしかった。


帰宅後、バイト先からの連絡を打ち返して、買ってきた本を眺める。
ゼミの本は、すぐには読む気にならなかった。
一方エッセイは前から気になっていたのもあり、早く読みたい。
どうせ今日も寝れないのだから、夜更かししてもいいかな。
そう思ったところで頭痛薬を買っていないことに気づいた。
明日家族に買ってきてもらおう。

そしてやっぱり夜更かしはやめておこう。
夜更かししたくなる気持ちは多くの人に分かってもらえる気がするが、早く寝て「もっと遅く寝ておけばよかった」と後悔したことはきっとない。

今日はもう寝よう。
おやすみなさい。


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