私とイエナプランの10年間
5年前、次男の育休中に長男の保育園で「父母会長」をやった時に、猛烈にお世話になった方がいらっしゃいます。
その方と久々にオンラインでお話をして、noteを、これまた猛烈に勧められました!笑
とは言え、ブログもあるし、全然書けてない連載記事もあるし、オランダ語の勉強もしたいし・・・と二の足を踏んでおりました。
が!今日から「日本イエナプラン教育協会」の初めての理事選挙が始まりました。立候補をしたので、選挙運動が始まりました。
そして、「私とイエナプランの10年間」を振り返ってみました。
我ながら、note1発目にはふさわしい記事・・・✨と思ったので、書いておきます。
<私とイエナプランの10年間>
2009年にイエナプランに出会いました。きっかけはリヒテルズ直子さんと尾木直樹さんの「今、開国のとき、ニッポンの教育」という本でした。
そこから、直子さんの「追っかけ」が始まりました。講演会に足繁く通っていたら、同じく「追っかけ」をしているというJさんに会いました。当時、江戸川区西葛西駅近くの小学校に勤めていたので、隣の隣の浦安駅で一緒にイエナプランの勉強会を始めました。
2010年10月10日頃の日本イエナプラン教育協会発足の会は、結婚式の翌日で新婚旅行に行っていたため、出られませんでしたが、その後、協会にはずっとお世話になっております。
特に、2011年の夏、直子さんに『学び合い』フォーラムで講演をしていただきたかった時は、直子さんにも、協会の皆様にも、大変ご迷惑をおかけしました。また、長男が生まれた後の講演会の時には、「子連れで行きたい」と我儘を言ったら、協会の皆様が託児をしてくださいました。本当にありがとうございます。
また、2015年の夏、協会主催の教員向け勉強会で、岩瀬直樹さんが「実践しないと広がらないよ。」と言ってくれたことも、とても心に残っています。その時に、参加者皆で「ボノの帽子」をやったのも、とても楽しかったです。
2015年の夏には、夫と息子たちを連れて、オランダでの1週間研修に初めて参加させていただきました。その時の「観察サークル」で「サークル対話」の心地良さを全身で体感したことは今でもとても心に残っています。そして、学校見学で感じた「一日中、落ち着いた休み時間」のような居心地の良さ!出来る範囲で自分のクラスでも実践しよう、と思っていた矢先、最終日の学校見学で、校長先生に言われたのは・・・「みんな、できる範囲でできることをしようとする。そうやって、どんどん自分の枠を狭めている。だから、僕はこう考えるんだ。『出来ること以上のことをしよう』って。」
その言葉を胸に、教室での実践を始めました。目から鱗の連続でした。
さらに、イエナプランの中級勉強会をやりたくて、研修仲間と何度か新宿で集まりました。混雑したカフェを待つ間も勝手に椅子を丸くしてサークル対話をしていたのが、本当に良い思い出です。
実は、その夏の研修で翌年に3ケ月研修が行われることを知りました。が、学校内の事情もあり、とても休職を申請出来るような状態ではありませんでした。が、その研修が翌年に延期されました!運命だと思いました。休職が出来なかったので、思い切って退職をし、オランダに来ました。3ケ月研修で学んだことは山のようにありますが、一言で言うなら「人生を楽しむ」ことの大切さです。
今は個人事業主ビザで滞在しています。イエナプランを学び続けたい一心で会社名を考えていた時に「イエナラボ」を思い付いてしまいました✨ビザは2020年の1月までなので、おそらく、そのタイミングで日本に帰国します。それまでは、オランダからの参加になりますが、「共に学ぶ」ことを大切に、イエナプランについて学び続けていきたいです。
研修でお世話になった、ある校長先生が、ご自身のことを「イエナプランラバー」だと言っていました。
イエナプランを愛する人たちが、白い目で見られることなく、「あなたはイエナプランが好きなのね。私は〇〇の方が好きだけど、でも楽しくやりましょう。」と言われるような、そんな日本になることを目指しています!!!
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